武田泰淳
提供: 新纂浄土宗大辞典
たけだたいじゅん/武田泰淳
明治四五年(一九一二)二月一二日—昭和五一年(一九七六)一〇月五日。小説家。幼名覚。東京生。父大島泰信、母もと(通称つる)の三男。父は東京本郷東片町の浄土宗潮泉寺住職で大正大学教授。母方の伯父に渡辺海旭がいる。父の師僧武田芳淳の遺言で武田姓を継いだ。京北中学を経て、昭和三年(一九二八)旧制浦和高等学校入学(同五年、父は目黒区の長泉院住職に転ずる)。高校在学中から中国文学に親しみ、また左翼運動に参加。同六年東京帝国大学文学部支那文学科に入学するが中退。この前後、反戦のビラ撒きなどで三回逮捕され、運動から離脱。同六年、度牒を授かり泰淳と改名。同八年、増上寺の加行道場に入り僧侶の資格を得る。以後、長泉院、西光寺などで僧侶の務めを果たす。同一二年、日中戦争で召集され、輜重特務兵として華中を転戦。同一四年除隊。同一九年六月上海に渡り、その地で終戦を迎え、滞留後、同二一年二月帰国。同二二年一〇月新設の北海道大学法文学部助教授となるが、半年で辞職して作家生活に入る。代表作として『司馬遷』や『異形の者』『ひかりごけ』『快楽』等がある。同五一年、一〇月肝臓癌のため死去。墓は長泉院と知恩院にある。武田の作品には、中国への贖罪感、自身の生き方への反省、さらに、仏教哲学と独自のキリスト教への解釈などが陰影と深度をもたらしている。人間の諸相を様々な作品として結実させた成果により、戦後文学の代表的作家といいうる。
【参考】『日本現代文学大事典』(明治書院、一九九四)、『増補改訂 新潮日本文学辞典』(新潮社、一九八八)、『増補版 武田泰淳全集』全一八巻別巻三巻(筑摩書房、一九七八~一九八〇)、川西政明『武田泰淳伝』(講談社、二〇〇五)
【参照項目】➡浄土教文学
【執筆者:小嶋知善】