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西教寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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さいきょうじ/西教寺

長野県埴科はにしな郡坂城町上五明。天照山良忠院。長野教区№一三六。知恩院末。良忠が宝治元年(一二四七)秋、善光寺参詣のため信濃を訪れた際に開山となり建立。武将村上為頼が良忠の教えを受けて深く帰依し、私財を喜捨して平安期創建の真言宗の寺を改めたもの。以来、村上氏を中心に当地の豪族の帰依を集め興隆した。本尊良忠より贈られたもので、三代執権北条泰時が、早世した嫡子時胤を弔うために造立した阿弥陀如来。胎内に舎利塔や時胤の着衣などが収められている。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二五(続浄一八)、『天照山良忠院西教寺縁起』(昭和一四年当寺五五代界誉上人記)


【執筆者:渋谷康悦】


長野県飯田市伝馬町。発遣山白道院。長野教区№二一六。永享年間(一四二九—一四四一)現在の下伊那郡松川町大島に創建され増上寺二世酉仰ゆうこうより山号寺号を授けられる。戦国期、九世真誉故称の代に現在地に移転し、天正年間(一五七三—一五九二)には伊那郡での浄土宗の総監を命じられている。一六世住職の日誉可円は地元の生まれであり当寺の復興を遂げ、往古の事跡をまとめた『興隆雑記』を残し、後には全国を巡り律院の建立や戒の復興に尽力したことで知られる。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二六(続浄一八)、『小石川伝通院志』(浄全一九)、『西教寺史』(西教寺、一九七七)


【執筆者:渋谷康悦】


大津市坂本。天台真盛宗の総本山比叡山東山麓に位置する。山号は戒光山、また大窪山智善院とも号し、本尊阿弥陀如来聖徳太子創建とも伝えるが、良源横川よかわ飯室谷近くに草庵を構え、源信道場としたのが始まりという。その後荒廃したが、鎌倉末頃、恵鎮円観により復興。円観が後宇多院の追善のため後醍醐天皇の勅許を得て改築したことで、京都法勝寺末寺となり黒谷流円頓戒四箇戒場の一つとなる。文明一八年(一四八六)真盛入寺により円戒念仏の根本道場として発展する。真盛称名念仏戒律厳守の戒称一致を唱え、没後もその思想は当寺に継承される。元亀二年(一五七一)織田信長の延暦寺焼き討ちで破却されたが、明智光秀の援助によって復興が始まり、天正一八年(一五九〇)には後陽成天皇の詔勅により法勝寺流の戒壇が当寺に移るなど、宗団として展開する。明治一一年(一八七八)別派独立した天台宗真盛派の総本山となる。同派は昭和二一年(一九四六)に天台真盛宗と改称した。


【参考】西教寺編『西教寺の歴史と寺宝』(西教寺、一九八九)


【執筆者:舩田淳一】