律院
提供: 新纂浄土宗大辞典
りついん/律院
興律派の僧など戒律を遵守するものの住する寺院の呼称。中国では唐の時代より寺院を禅、教、律の三種に区別し、専ら戒律を修学する寺院を律院と呼んでいた。日本においては鑑真によって建てられた唐招提寺が最初の律院とされている。浄土宗においては、江戸期浄土律興隆とともに多くの律院が作られた。まず霊潭󠄂は享保二年(一七一七)に京都に照臨庵を開き、これが浄土宗における律院の最初となる。以後、この霊潭󠄂の弟子たちによって様々な律院が作られることとなる。湛慧は京都長時院を律院として再興し、黙龍は尾道に安養軒を開く。徳巌は伊賀の昌光寺を大乗律苑と定め、関通は尾張の西方寺を円成寺と改め律院となして義澄を住持に迎える。また徳門は江戸目黒に長泉院を開く。これらは皆霊潭󠄂門下による律院の系統であるが、その興隆の背景には関通の活躍が大きく影響している。また別の系統として敬首の築いた江戸正受院や不能の奥州無能寺等も律院とされている。これら浄土宗における律制は捨世派との関わりが深く、律院を築いた多くの僧達は捨世派にも分類されている。
【参考】『浄土宗史』(浄全二〇)
【執筆者:兼岩和広】