天台宗
提供: 新纂浄土宗大辞典
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てんだいしゅう/天台宗
中国の天台智顗(天台大師・智者大師)によって提唱された、教門(教理の体系的・総合的な理解)と観門(止観の実践)の教観二門を仏道修行の両輪双翼とする宗派。天台宗では、「五時八教」と称される智顗の教相判釈に基づいて、『法華経』が最重要視される。また、智顗は空・仮・中道の三諦の円融相即(即空即仮即中)を「諸法実相」と捉え、その円融三諦(実相)に即して諸法を観ずる一心三観の実践(止観)を修道の根幹とした。智顗の滅後、隋(智顗は晋王時代の煬帝に菩薩戒を授けた)から唐に入ると、天台の教勢は振るわないが、唐中期には六祖と仰がれる湛然が出て、天台三大部(『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の総称、いずれも章安灌頂の筆録による)の詳細な注釈等を著し、法相や華厳の教学に対抗した。日本の最澄は、延暦二三年(八〇四)に入唐して、湛然門下の道邃・行満より天台教学(円教)を受法し、帰国後の同二五年、止観業・遮那業の年分度者二名を得て、比叡山に天台法華宗を開創し、さらに大乗戒壇の建立に心血を注いだ。しかし、『内証仏法相承血脈譜』に、最澄自らが円・密・禅・戒の四宗相承を主張するように、日本天台は最澄の当初よりさまざまな仏教思想の総合を志向しており、中国天台にはなかった要素が加えられることによって、日本天台は独自の発展を遂げていく。殊に、最澄以降、日本天台では、円教と密教のさらなる融合を図る必要を生じ、円仁、円珍が相次いで入唐し、円密一致に基づく日本独自の天台教学が確立されていった。また、円仁は五台山より引声念仏を伝え、比叡山で不断念仏を修せしめ、円仁の門下に『極楽浄土九品往生義』を著したとされる良源、さらに良源の門下に『往生要集』を著した源信が出て、摂関家を中心とする貴族層に天台浄土教が盛行した。鎌倉期に入ると、比叡山より法然、親鸞、栄西、道元、日蓮等が輩出し、いわゆる鎌倉新仏教の母胎となった。なお、源信の同時代、中国(趙宋天台)には『観経疏妙宗鈔』などを著した四明知礼が出ている。
【参考】福田尭穎『天台学概論』(中山書房仏書林、一九五四)、島地大等『天台教学史』(明治書院、一九二九)、硲慈弘『天台宗史概説』(大蔵出版、一九六九)
【参照項目】➡五時八教、諸法実相、引声念仏、最澄、円仁、知礼
【執筆者:木村周誠】