引声念仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
いんぜいねんぶつ/引声念仏
声を緩やかに長く引き伸ばして称える念仏。円仁が中国五台山より伝えたとされる。鎌倉光明寺と増上寺などに伝承されている「引声阿弥陀経法要」の中の一曲で、誦経・回向の後に雲版太鼓と双盤を打ちながら称える念仏。「南無南無阿弥陀」を漢音で三辺称える念仏の曲名。この引声念仏に続く「六字詰念仏」は呉音で称えている。引声念仏は、「南(ンナーンー)」と緩やかに抑揚をつけ、間隔(間)をおきながら称え、大衆はこの間に香盤(折り込み)行道を行っている。天台宗の「引声作法」と「例時作法」には、「引声念仏」という曲名はなく、「引声阿弥陀経作法」そのものを「引声念仏」または「不断念仏」と総称している。安然『金剛界大法対受記』六には、法道が極楽浄土に往き、その水鳥樹木の念仏の声を聞き、念仏三昧の法音を感得したという。円仁はその極楽法音を修得して、引声短声の『阿弥陀経』と合殺の五声とを比叡山に伝えたという(正蔵七五・一七九中)。この法道のことは詳らかでないが、『五会法事讃』の法照とする説がある。円仁の『入唐求法巡礼行記』には、五台山・長安など各地の寺院での法要儀式などを伝えているが、竹林寺般舟道場での念仏実修の現状と所伝の師については記述していない。ただし『魚山声明相承血脈譜』には、引声の相承を明記し、円仁が将来した声明のうち五箇大曲の中に「引声念仏」を挙げている(『続天台宗全書』、法儀一・四八五)。この引声念仏は五台山念仏作法の流れを汲むもので、常行三昧堂で一七日の間に『阿弥陀経』を引声で唱誦し、不断に仏を念ずる作法であるために、常行三昧・不断念仏ともいう。『今昔物語』一一の慈覚大師の項には、「貞観七年(八六五)と云う年、常行堂を起て、不断の念仏を修する事七日七夜也。…是、極楽の聖衆の阿弥陀如来を讃奉る音也。引声と云う。是也」(『日本古典文学大系』二四・一一〇)とあり、七日間で不断念仏を修することを引声と称している。『三宝絵詞』下の比叡不断念仏の項には、「身は常に仏を回る。身の罪ことごとくうせらむ。口に常に経を唱ふ。口のとが皆きえぬらむ」(仏全一一一・四六上)とある。この不断念仏は称名ではなく、「引声阿弥陀経法要」を修すことをさしている。『玉葉和歌集』一九の釈教歌には、「常行堂の引声の念仏を聴聞し侍りて、夜もすがら西に心のひく声にかよふ嵐の音ぞ身にしむ」(『校註国歌大系』六・五九八)がある。
【録音資料】「念仏—浄土宗声明」
【参考】天納伝中『天台声明』(法蔵館、二〇〇〇)、奈良弘元『初期叡山浄土教の研究』(春秋社、二〇〇二)、伊藤真徹『平安浄土教信仰史の研究』(平楽寺書店、一九七四)
【執筆者:山本康彦】