中国山東省東阿県の地名で、漁山、吾山ともいう。魏の武帝の子、曹植そうしょくが、この地で空中に梵天の響きを感得して梵唄ぼんばい(声明)を作ったという伝説がある。日本では、円仁えんにんが比叡山延暦寺に声明を招来して以後、寂源が京都大原を中国魚山に擬して勝林院を建て(長和二年〔一〇一三〕)、良忍が来迎院を建てるなどして声明を興隆した。大原魚山と呼ばれ、天台声明研鑽の地として現在に至る。
【参考】『三国志』「魏志曹植伝」、天納伝中『天台声明概説』(叡山学院、一九八八)
【参照項目】➡声明一
【執筆者:霜村叡真】