大原
提供: 新纂浄土宗大辞典
おおはら/大原
京都市左京区大原町。戸寺・上野・長野・来迎院・勝林院・草生・野村・井出の八郷の総称であり、「小原」とも書く。洛北に位置し、古くより出家遁世の地として知られた。中国天台山で声名を学んだ円仁は大原を天台山の西に位置する大源魚山に擬えて「魚山」と呼び、声明の道場である来迎院を創建した。のち融通念仏宗の宗祖良忍が大原の別所に隠棲、念仏三昧の傍ら浄蓮華院の創建と来迎院の再興を果たすと共に、分裂していた声明諸派の統一を果たす。『平家物語』灌頂巻では建礼門院徳子が大原の尼寺・寂光院に隠棲し、阿弥陀三尊像や善導の御影、さらに善導の著書である「九帖の御書」に囲まれ、安徳天皇の後世菩提と自身の極楽往生を祈る日々を送る姿が描かれており、当時の阿弥陀信仰の様子を窺い得る。また、勝林院は法然と顕真らによる大原談義が行われた場所と伝えられる。久安四年(一一四八)には藤原実衡の妻・真如房が極楽院を建立するが、明治四年(一八七一)に船岡山の東麓から移転してきた三千院門跡(円融房・梶井門跡)の境内に取り込まれ、同一八年に「往生極楽院」と改称されて現在に至る。
【参照項目】➡大原問答
【執筆者:冨樫進】