「普礼伽陀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ふらいかだ/普礼伽陀
三宝を礼拝する意を表す伽陀。「我此道場如帝珠 十方三宝影現中 我身影現三宝前 頭面接足帰命礼」。この道場を真実の荘厳で飾り、十方の三宝が影の如くに現れる中、我が身をその前に投じて五体投地して心より礼拝するの意。湛然『法華三昧行事運想補助儀』(正蔵四六・九五六上)の礼仏作法の偈の一部に「十方三宝」を「釈迦牟尼」、「三宝前」を「如来前」とした文句がある。最澄『長講金光明経会式』(正蔵七四・二五六上)の「参堂三礼頌」には、「十方三宝」を「十方諸仏」、「三宝前」を「諸仏前」として用いている。同文の偈を『法華懺法』(正蔵七七・二六五上)では、三宝に礼拝し供養文として唱える。声明としては『魚山声明集』(正蔵八四・八一四上)の伽陀の最初に載る。総礼偈・総礼伽陀と題されていたが、『浄土苾蒭宝庫』下で「普礼伽陀」(八ウ)と偈題する。明治四三年(一九一〇)の『浄土宗法要集幷声明』では夕座の伽陀に指示がある。縁山声明では「我此道場」として伝わっているが、その場合は前の二句を唱える。
【参照項目】➡我此道場二
【執筆者:巖谷勝正】