「彼土不退・此土不退」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版
ひどふたい・しどふたい/彼土不退・此土不退
彼土不退とは、浄土に往生した後に不退を得ること。此土不退とは、現生で覚りを得て不退を得ること。『無量寿経』上には「もし我れ仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、必ず滅度に至らずんば、正覚を取らじ」(聖典一・二二六/浄全一・七)という第十一住正定聚の願があり、念仏往生以後の得益として不退が説かれている。また同経下には「至心に回向して、かの国に生ぜんと願ずれば、すなわち往生を得て、不退転に住す」(聖典一・二四九/浄全一・一九)とあり、『阿弥陀経』にも「極楽国土には、衆生生ずる者は、皆これ阿鞞跋致なり」(聖典一・三一八/浄全一・五三)と示されている。曇鸞は『往生論註』上に龍樹の『十住毘婆沙論』を引用して五濁無仏の時代に阿毘跋致を求めることを難行道とし、阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生した後に正定聚に入ることを易行道とした。さらに道綽も『安楽集』下に「若し発心して西に帰せんと欲する者、単に少時の礼観念等を用いて、寿の長短に随いて命終の時に臨みて、光台迎接して迅く彼方に至りて位不退に階る」(浄全一・七〇三下~四上/正蔵四七・一八下)と述べ、往生以後の得益として浄土での階位不退をあげている。ただし、真宗では信の一念によって即時に正定聚の位に入ることを不退転に住するとし、現生における得益として住正定聚を説く。
【資料】親鸞『教行信証』(真宗聖典/真聖全二)
【執筆者:杉山裕俊】