阿闍梨
提供: 新纂浄土宗大辞典
あじゃり/阿闍梨
教師や教授、宗教上の指導者、あるいは祭式の指南役といった意味。ⓈācāryaⓅācariyaの音写。他に阿遮利耶をはじめ多数の音写があり、正行、義範などと漢訳される。古代インドにおいてバラモン教を中心とした生活規範をまとめた『マヌ法典』二・一四〇に、「生徒を導いた後(入門式を行った後)、ヴェーダを祭式学(カルパ)およびウパニシャッド(ラハスヤ)とともに教授するブラーフマナをアーチャーリヤと呼ぶ」(渡瀬信之訳)とある。こうした意味合いは仏教においても同様であり、たとえば『一切経音義』に「善法中に於いて教授して知らしむるを阿闍梨と名づく」(正蔵五四・七三八下)とあり、律蔵には仏教の出家教団における五種(もしくは四種)の阿闍梨の有り様が見られる。それらの名称については所伝によって異同があるが、五種とは、弟子から見て①自己を出家させ、沙弥戒を授ける「出家の阿闍梨」、②具足戒の儀式において受戒するにふさわしいか、遮難の有無を問い質す「教授の阿闍梨」、③同じく具足戒の儀式において白四羯磨の作法を司る「羯磨の阿闍梨」、④和尚不在の場合に、和尚の代わりとなって指導する「依止の阿闍梨」、⑤教法や戒律などを教授してもらう「受法の阿闍梨」といった解説が示されている。また弟子にとって師弟関係を結び責任を持って指導してくれるのが和尚、もしくは和上(ⓈupādhyāyaⓅupajjhyāya)などと呼ばれる者であるのに対し、阿闍梨との関係は基本的には一過性であるという。とはいえ師匠である和尚の没後には、④に該当するケースとして依止の阿闍梨を請うべきだとされ、「阿闍梨、弟子に於いて当に児の如く想うべし。弟子、阿闍梨弟子に於いて当に児の如く想うべし。展転して相教え、展転して相奉事し、是の如くせば仏法中において倍す増益し広く流布す。当に阿闍梨に是の請を作すべし」(『四分律』正蔵二二・八〇三中)と示されるように、依止の阿闍梨と弟子の関係は親子の関係になぞらえられ、教団の繁栄、仏法流布に寄与する関係として重視されるものともいえよう。浄土宗においては円頓戒を授かることで受戒とするが、『授菩薩戒儀則』(聖典五・五〇九)によれば、その際、和上に釈尊を、羯磨阿闍梨に文殊菩薩を、教授阿闍梨に弥勒菩薩を奉請するとする。なお法然は『一百四十五箇条問答』において「和尚と申しそうろうは戒受くる時に法門習いたる師を申しそうろうなり。阿闍梨と申しそうろうは正しく戒を授くる師にてそうろうなり。これをば羯磨阿闍梨と申しそうろうなり」(聖典四・四五五/昭法全六五一)と示している。ちなみに密教においては伝法灌頂を受けた者のことをいい、その場合、授法の師を大阿闍梨と称する。また日本では平安朝以来、官符などにより真言宗・天台宗の僧に対して朝廷から与えられる一種の官職として用いられ、その僧は朝廷からの要請に応じて祈禱や修法を司った。
【参考】渡瀬信之訳『サンスクリット原典全訳マヌ法典』(中央公論社、一九九一)、平川彰『原始仏教の研究』(春秋社、一九六四)
【執筆者:袖山榮輝】