阿弥陀三諦
提供: 新纂浄土宗大辞典
あみださんたい/阿弥陀三諦
阿弥陀の「阿」を「空」に、「弥」を「仮」に、「陀」を「中」に配当する学説。源信作とされる『観心略要集』などに説かれ、『阿弥陀経略記』の無量寿三諦の意を受けた学説と考えられる。無量寿三諦は『阿弥陀経略記』に「若し観解を作さば、無とは即ち空、量とは即ち仮、寿とは即ち中に、仏とは三智即ち一心に具す」(『恵心僧都全集』一・四〇一)とあり、天台の真理観である空仮中の三諦の理と無量寿の三字を対応させ、無量寿の三字を観念することがそのまま空仮中の三諦の理を証得することになるという。三諦の理とはありのままの真如・法性ということで、これを一心三観により如実知見することが天台における悟りとされるが、誠に困難なことであるので無量寿仏を観念することと関連づけられ、いわば天台浄土教の完成された念仏成仏が示された。これを受けて『観心略要集』に「それ名号の功徳莫大なるをもっての故なり。ゆえに空仮中の三諦、法報応の三身、仏法僧の三宝、三徳、三般若、此の如き等の一切の法門、悉く阿弥陀の三字に摂す」(『恵心僧都全集』一・三三〇)といい、阿弥陀三字に空仮中の三諦の理を対応させた。意図するところは同じであるが、無量寿三諦と同じく三字に三諦を対応させても内容的に無理があることも指摘される。阿は空に対応できても弥陀(mita=量)の字は切り離すことができないからである。しかし無量寿三諦を受けて阿弥陀の三字に仏身等の種々の功徳が内在するということは後世に大きく影響を与えた。悉曇には五一字門、四二字門などの説があるが、永観はその四二字門の最初の文字である「阿」に阿弥陀の「阿」を、中間の四〇字に「弥」を、最後の文字である「荼」に、「阿弥陀」の「陀」を対応させ、四二字により表明される功徳はすべて阿弥陀仏が有しているとし、阿弥陀の三字の功徳を強調している。また覚鑁『阿弥陀秘釈』、実範『病中修行記』、源信『正修観記』などにも阿弥陀三諦説を見出すことができる。法然はこれらを受け万徳所帰の名号論を展開したと考えられ、『選択集』には易行の念仏が勝れた行であることを強調した。すなわち阿弥陀仏の悟りの内証の功徳と外へのはたらきの外用の功徳が名号に摂められているという。
【参照項目】➡三諦、悉曇、阿弥陀経略記、観心略要集、一心三観、万徳所帰
【執筆者:福𠩤隆善】