梵音
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぼんのん/梵音
一
清浄な音声の意で大梵天の声のこと。転じて仏の声をも指す。梵声や梵音声などともいう。『観経』(聖典一・三一二/浄全一・五〇)では観音・勢至の両菩薩が梵音によって往生した人を安慰すると説かれる。得梵音声相や梵音相として三十二相の一つにも数えられる。種々の仏典において、梵音の音色は羯羅頻迦(迦陵頻伽)の鳴き声のように美しく、その響きは帝釈天の持つ鼓のように遥か遠くまで行き渡るといわれる。また中国撰述の文献では、梵音が「梵語での音」を意味することもある。
【執筆者:石田一裕】
二
祖山流声明。四箇法要の一声明曲。唄・散華・梵音・錫杖の三番目の曲。「十方所有勝妙華 普散十方諸国土 是以供養釈迦尊 是以供養諸如来 出生無量宝蓮華 其華色相皆殊妙 是以供養大乗経 是以供養諸菩薩」。上四句・下四句の前半二句は『八十華厳』一四・賢首品(正蔵一〇・七四上~中)より選句し、是以供養の後半二句は出典不詳。十方所有の勝れた妙華を、あまねく十方の諸々の国土に散じて、釈尊をはじめとする諸仏・諸菩薩・大乗経典等に供養する、の意。曲名の梵音は、もと梵天王の声のことで、転じて仏の清浄な音声を意味する。梵音の曲名と偈文の内容は直接的に関連がないが、如来の清浄な声(梵音)は十方に響き、これを聴く者は皆悟りを得るので、浄音で諸仏・諸菩薩を供養するために唱える。円光東漸大師五〇〇年御忌では四箇法要が行われ、梵音衆左右六人で、「梵音衆起立作梵 音頭二人執香炉、余者執華筥 職衆起立唱和」とある(『知恩院史』六三〇、知恩院、一九三七)。近年では伝承保持のために毎年一二月一一・一二日両日の勢観忌法要で、句頭が前半の第一句、大衆が第四句を極略で唱えている。句頭の最後の「スグ」の旋律に、大衆同音の最初の「スグ」の旋律が続く特異な唱法の曲である。指定箇所で散華をする。『魚山六巻帖』には律曲・平調とあるが、二律下げの壱越調・出音羽で実唱している。
【参考】『浄土宗声明集』(知恩院、二〇一〇)
【執筆者:太田正敬】
三
縁山流声明。四箇法要の一声明曲。「十方所有勝妙華 普散十方諸国土」。律曲、平調・出音羽の曲で、四箇(唄・散華・梵音・錫杖)法要、大法要で唱えられる声明の秘曲。「十」はソルで、俗にセミともいい、尊超法親王がこれを発声したときに、セミが鳴き出したという伝説がある。この他にも毛抜合、押返、ユリ返、ホッス下りなどがあり、同音でも、二重ユリ、小ユリ三段上りなど独特の節があり、難曲中の難曲である。増上寺では昭和四九年(一九七四)一一月浄土宗開宗八〇〇年記念慶讃会・日中法要で用いられ、その次第には梵音を唱える声明師は別格で標記されている。御忌会では同五四年四月一五日に日没法要で四箇法要が修せられた。「十方所有勝妙華」までを句頭が発声し、「普散十方諸国土」を同音で唱え、二句でおわる。
【執筆者:渡辺俊雄】