止
提供: 新纂浄土宗大辞典
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し/止
一
三昧、禅定のこと。こころにおこる様々な散乱が止まり、動揺がなくなること。Ⓢśamathaの訳語で奢摩他と音写される。仏道修行の基本となる戒定慧の三学のうち、止は定、観は慧であり、一般的には「観」(Ⓢvipaśyanā、毘鉢舎那、毘婆舎那)とともに止観として説かれる。『起信論』には「言う所の止とは、謂わく一切境界の相を止めて奢摩他観に随順する義の故なり」(正蔵三二・五八二上)とし、ここでも観とともに述べられている。また四諦の境を観ずる方法である十六行相のうちの一つ。天台宗では空・仮・中の三観に配当して、この止を三止に分ける。
【資料】『摩訶止観』
【執筆者:薊法明】
二
阿弥陀仏とその国土の名号、安楽土、阿弥陀仏の覚りに具わる三つの止のこと。曇鸞が『往生論註』下において『往生論』の作願門における「奢摩他」を釈するに当たり提示した解釈。曇鸞は「奢摩他」を「止」と訳すことについて「義において未だ満たず」(浄全一・二三九上/正蔵四〇・八三五下)と指摘しつつ、『往生論』における「奢摩他」について「一には一心に専ら阿弥陀如来を念じて彼の土に生ぜんと願ずれば、この如来の名号およびかの国土の名号、よく一切の悪を止む。二にはかの安楽土は三界の道に過ぎたり。もし人またかの国に生ずれば、自然に身口意の悪を止む。三には阿弥陀如来正覚住持の力をもって、自然に声聞・辟支仏を求むる心を止む」(浄全一・二三九上~下/正蔵四〇・八三五下~六上)と三義あることを述べる。またこれら三種の止は「如来の如実功徳より生ずる」(浄全一・二三九下/正蔵四〇・八三六上)ものであり、良忠はこれを「三止の利益、仏願より生ず」(浄全一・三一四上)と解している。曇鸞の三種の止の理解は、奢摩他の実践が往生以前と往生以後に通じる行であることを示すものであり、特に往生以後の実践を示す点は特異なものといえる。
【資料】藤堂恭俊「曇鸞大師の五念門釈攷(上)」(『浄土宗学研究』一八、一九九二)、石川琢道『曇鸞浄土教形成論—その思想的背景—』(法蔵館、二〇〇九)
【執筆者:石田一裕】