新宗教
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しんしゅうきょう/新宗教
幕末以降に成立し、それまでの伝統宗教とは異なる独自の宗教伝統を形成した宗教や教団のこと。マスメディアなどでは、批判的な意味を込めて新興宗教と用いることがある。
[歴史]
新宗教の最初期は江戸後期で、代表的な教団は、成立順に、名古屋の如来教、岡山の黒住教、奈良の天理教、岡山の金光教があり、明治期には、神奈川の丸山教、小倉の蓮門教、京都亀岡の大本教(現・大本)と続く。この時期のものの多くは、大きな経済的政治的変動のなかで、地方農村部に成立していった。大正末から戦前の動乱期には、現在でも大きな勢力を有する、ひとのみち(現、パーフェクト リバティー教団)、霊友会、生長の家、世界救世教、立正佼成会、創価学会などが、主に大都市部に成立し、戦後、信教の自由の保障された憲法の下で飛躍的に拡大していった。一九七〇年代のオイルショック以降には、真如苑、阿含宗、崇教真光、世界基督教統一神霊教会(略称、統一教会)、オウム真理教、幸福の科学、親鸞会、冨士大石寺顕正会(略称、顕正会)など多様な教団が輩出した。これらは新新宗教と呼ばれることもある。新宗教の歴史を発生時期や社会背景・特徴から大まかに区分すると、①丸山教、天理教から蓮門教が成立した、幕末から帝国憲法発布までを第一期、②日露戦争後まで、天理教、蓮門教などが拡大する一方、天皇制国家体制下の弾圧を受けた第二期、③昭和五年(一九三〇)の昭和恐慌まで、小作争議や労使の対立など社会的矛盾と不満が渦巻く時期に、世の立替え立直しを訴える大本教や非公認宗教(類似宗教)のほんみちなどが弾圧を受けた第三期、④第二次大戦敗戦まで、創価学会など多くの教団が、公認教団内宗教団体としてのみ活動を認められ、不敬罪や治安維持法で取り締まられた第四期、⑤戦後の新憲法のもと、宗教団体令によって信教の自由が認められ、それまでの多くの類似宗教や、立正佼成会、創価学会などが独立し教線を拡大していった高度経済成長期からオイルショックまでの第五期、⑥日本社会が経済的低成長期に入り、物質的豊かさから精神的豊かさへと価値観が変わるなか、神秘・呪術志向の新たな宗教ブームや九〇年代以降急激に台頭したオウム真理教や親鸞会、大石寺顕正会といった原理主義的教団が台頭した第六期と分類できる。
[発生]
全く独自に発生した新宗教はほとんどなく、伝統文化を基盤とするものが多い。一つは、神仏習合的な山伏や行者などの存在である。天理教の教祖の中山みきは、長男秀司の足の痛みを治すために、山伏を自宅に招き、自身が依り代となって寄加持(修験者や山伏などによる病平癒を期した祈禱)を行ったとき、神がかり状態となって親神天理王命からの啓示を受けた。以後、親神の言葉は、みきによって「おふでさき」として、信者に伝えられることとなった。天照皇大神宮教の北村サヨの場合、昭和一七年(一九四二)、隣村の祈禱師の指示で、水垢離等の行を行ううちに腹中の神が語りかける体験をする。二つめは、在家の信者が積極的に集団で参加する講の存在である。明治初期の教派神道の場合、講から成立したものに、御嶽教、富士講からの扶桑教などがある。また、日蓮系の例としては、日蓮正宗大石寺の講であった創価学会、同寺の妙信講が発展した顕正会などがある。新宗教の教祖像はほぼ共通していて、神によって救済された最初の存在であり、神の代理人であり、民俗宗教の伝統的な「生き神」でもあり、信仰上の指導者であるとみなされている。
[性格]
第五期までの新宗教の思想的特徴の多くは各教団に共通しており、生命主義的救済観と呼ばれる。これまでの仏教が来世志向なのに対して現世的で、現世での物質的な豊かさや人間関係や身近な生活上の改善などに対する心構えの向上などを究極の幸福と捉える傾向がある。宗教的根源は、さまざまに呼ばれるが、その性格と機能は、万物の生命を生み出した根源、それぞれの生命のうちに働いて育てる源泉、生み出した万物を温かく養育し成長させる愛育者、という農耕文化を土壌とした民俗宗教的なイメージが強い。人間も万物の一員であり、平等に生み出され化育されている存在のため、人間の本性は神聖で完全無垢であり、本来罪も病もない。その人間に不幸が起きるのは、己が「生かされている」ことを忘れ、感謝の念を持たず、利己主義に走り、自分中心になることが原因とされる。これは、前近代社会を理想化した、近代の欲望競争社会への批判と考えられる。生命主義的教団は、近代日本社会と同様に成長志向が強いが、現在の教団規模は多くの教団が頭打ち状況にある。第六期の新宗教の特徴は、極めて個人主義的傾向が強いことで、教祖や原典に忠実であろうとする傾向もあり、根本主義的とも言える。第五期までの新宗教は、創価学会などを除いては、仏教などの宗教伝統と親和性が高く、共通する救いを説いた。たとえば立正佼成会など霊友会系教団は、先祖を粗末にしたことや、家族相互への感謝の念の欠如が不幸の原因だとして、夫婦双方の先祖供養(万霊供養)を強調した。近代社会で人の絆が綻びつつあった都市の人々に共通の信仰共同体の信者同士である点が、地縁血縁を重視する寺院仏教と異なるものの、先祖と子孫の血縁を重視し、他者を思いやる共同体的志向において共通性を持っている。しかし、共に、農耕型社会から都市型へ移行する現代社会において、先祖供養を中心とした救済は、過渡期を迎えている。
【参考】大浜徹也「〈淫祠邪教〉と〈類似宗教〉」(『歴史公論』四四、雄山閣出版、一九七九)、武田道生「天皇制国家体制における新宗教弾圧—新宗教淫祠邪教観をてがかりとして—」(『論集 日本仏教史 九 大正・昭和時代』雄山閣出版、一九八八)、対馬路人他「新宗教における生命主義的救済観」(『思想』六六五、岩波書店、一九七九)
【執筆者:武田道生】