浄土
提供: 新纂浄土宗大辞典
じょうど/浄土
一
浄らかな仏の国土のこと。漢訳の仏典に浄土の訳語が散見されるが、この意味での原語はなく、中国では様々な仏国土のことを浄土と称するようになる。浄影寺慧遠の『大乗義章』一九に「浄土と言うは、経中に或時は仏刹と名づけ、或は仏界と称し、或は仏国と云い、或は仏土と云い、或は復た説いて、浄刹、浄界、浄国、浄土と為す」(正蔵四四・八三四上)という。吉蔵の『大乗玄論』五に「浄土とは蓋し是れ諸仏菩薩の所栖の域、衆生の所帰なり」(正蔵四五・六七上)という。仏国土には「浄らかな」意味が込められており、それは菩薩行によって浄められた仏国土であり、大品系の『般若経』等で強調された「浄仏国土(仏国土を浄める)」という菩薩の誓願が根底にある。浄めるは動詞の√śudhである。また浄仏国土の略語、もしくはその意味をもたせて浄土の訳語が使われることもある。『大智度論』九二に「仏土の荘厳を名づけて仏土を浄めると為す。阿弥陀等の諸経中に説くが如し」(正蔵二五・七〇八下)とあるが、『阿弥陀経』等に説かれる極楽浄土の荘厳は、浄仏国土という菩薩行の結果であることを意味している。大乗仏教では十方の諸仏を認め、一仏に一仏国土であるから、十方に諸仏の浄土が存在する。中でも『阿閦仏国経』の阿閦仏の東方妙喜世界、『阿弥陀経』等の阿弥陀仏の西方極楽世界、『大般涅槃経』二四の釈迦仏の西方無勝世界、『薬師如来本願経』の薬師仏の東方浄瑠璃世界などが知られている。また厳密には仏国土ではないが、『華厳経』入法界品の観音菩薩の住処である南方補陀落(Ⓢpotalaka)山を観音浄土、『弥勒上生経』等の弥勒菩薩の住処である上方兜率天(Ⓢtuṣita)を弥勒浄土とも呼んでいる。また仏典では方位とは無関係な浄土を説く。『維摩経』仏国品の「若し菩薩、浄土を得んと欲せば当に其の心を浄むべし。其の心浄きに随いて則ち仏土浄し」(正蔵一四・五三八下)は、後に唯心浄土説に展開する。『法華経』如来寿量品で釈尊は「常に霊鷲山及び余の諸の住処に在るなり。衆生は劫尽きて大火に焼かれると見る時も、我が此の土は安穏にして天人常に充満せり…我が浄土は毀れざるに」(正蔵九・四三下)と説き、これは後に霊山浄土の思想へと展開する。また『華厳経』の蓮華蔵世界、『観普賢経』の常寂光土、『大乗密厳経』の密厳浄土などがある。このように、浄土という用語は特定の仏の仏国土を指してはいなかったが、中国の隋唐時代に阿弥陀仏信仰が盛んになるとともに、浄土は阿弥陀仏の極楽浄土を指す用語にもなる。その先駆的な例に曇鸞『往生論註』があげられる。また道綽『安楽集』、善導『観経疏』なども阿弥陀仏の浄土の意味で限定的に用いている。なお道綽『安楽集』、迦才『浄土論』、懐感『群疑論』などでは、阿弥陀仏と弥勒菩薩の両浄土の比較優劣論を展開している。
【参考】平川彰「浄土思想の展開」(『講座大乗仏教』五、春秋社、一九九五)、藤田宏達『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七〇)
【執筆者:小澤憲珠】
二
法然上人鑽仰会発行の月刊誌。昭和一〇年(一九三五)五月に創刊され、平成二七年(二〇一五)九月号で通巻八九六号を迎えている。現在は会員誌だが、創刊当初から第二次世界大戦直後まで鉄道弘済会(現キオスク)などで一般販売され、佐藤春夫、中里介山、与謝野晶子などが執筆し、『文藝春秋』(文藝春秋社発行の月刊誌)と並ぶ人気雑誌だった。発行元が創刊以来浄土宗と一線を画していることから、内容も幅広く、かつ何世代にもわたる読者も少なくない。
【参照項目】➡法然上人鑽仰会
【執筆者:村田洋一】