幡
提供: 新纂浄土宗大辞典
ばん/幡
堂内・屋外に懸け吊るす荘厳具。Ⓢpatākāの漢訳。幡ともいい、旛とも書く。荘厳のために堂内の柱・天蓋などに懸けるほか、大会のときには庭に立て掛ける。戦場で用いられた戦勝幡が、仏・菩薩の降魔の威徳を示す標識として道場を荘厳する具となった。幡のもつ降魔の威力により、福徳を得て延寿と浄土住生を得ると理解された。幡には和幡と唐幡とがあり、錦・綾と故人の衣装等の裂地をはじめ金銅・紙・板等で作られた。和幡の形式は、三角形の幡頭、長方形の幡身、数条の幡足と、幡頭中央から幡舌、幡身の両側から幡手、幡頭の先端に吊金具などを付けて懸け垂らす。幡身はいくつかの坪に区分され、多くは三坪で、幡足も四条が主流である。唐幡の形式は、丸みをもたせた州浜形の幡頭、一坪の幡身、幡頭両側から各一条長く延ばした幡手、幡手と同じ長さの幡足からなり、近世になって流行した。用所の分類では、堂幡・庭幡・屋上幡・高座幡・天蓋幡などがある。用法の分類では、灌頂幡(灌頂に用いる幡)・続命(寿命)幡(病気平癒・延寿を祈願する幡)・薦亡(命過)幡(追善回向のための幡)・送葬(四本)幡(野辺送りに用いる大幡)・施餓鬼幡(施餓鬼会に用いる幡)・四天王幡(地鎮式などに用いる幡)などがある。来迎図には菩薩の執持物として描かれている。『二十五三昧起請』には、阿弥陀仏像の右手に五色の幡をつなぎ、病人の左手に幡足をとらせて往生の思いをする臨終行儀を示している。法然はこれを否定しているが、『四十八巻伝』四四の隆寛の往生の場面には、三坪の色分けした幡身と糸製の幡足の幡が描かれている。画像の阿弥陀仏の手には幡頭の先よりの糸が結ばれ、隆寛は五色の糸を手にかけて高声念仏をして往生した(『法然上人絵伝』下・七〇、続日本の絵巻三、中央公論社、一九九〇)。
【参考】『日本の美術』五四二「幡と華鬘」(至文堂、二〇一一)
【執筆者:西城宗隆】