伝供
提供: 新纂浄土宗大辞典
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でんぐ/伝供
仏前に供物を捧げるときに、手から手へ伝え渡して供えること。またその伝送する儀式。「てんぐ」「でんく」ともいう。大会のときに仏前に縦列を作り、供物をリレー式に順次手送りし所定の場所に供える儀式をいう。舞楽法要の際には、迦陵頻と胡蝶の舞人が供物を伝供師に手渡して、それぞれの舞を演じる。『源氏物語』の胡蝶には、迦陵頻の童が銀の花瓶に桜を挿し、胡蝶の童が金の瓶に款冬を挿して、行香の人々に供華を取り次いで閼伽の具に並べたことが記されている(『日本古典文学大系』一五・三九九)。『往生講式』には「香華等の伝供を備う」(浄全七・四六七上)とあり、講式のときにも行われた。『四十八巻伝』九には、文治四年(一一八八)に後白河法皇が如法経を修すときに伝供が行われたことを記している。「十種供養の儀あり。…正面の庭上に、赤地の錦の地舗を敷きて、その上に机二脚を立てて、十種供養の具を安ず。天童二人、舞童十六人、東西より進み出で、供具を取りて、南の階下に参じて伝供をなす。衆僧正面の左右に立ちて伝供す。この間、十天楽を奏す。御導師澄憲法印なり。伝供の時は、制禁堅くして、参詣の道俗、鑓水の北に臨まずといえども、説法の時は、勅許ありて、聴聞の緇素群をなす」(聖典六・一〇〇)とある。また、翌五年の清瀧会式(桜会)には、左右舞人供花を捧げ持ち、舞台を経て、拝殿の階下に列立、即伝供、錫杖・梵音衆同じく伝供、所司等舞殿に祇候し、これを宝前の机に据える儀式が行われ、当時広く伝供が行われていた(土谷恵「中世醍醐寺の桜会」『中世寺院と法会』九七、法蔵館、一九九三)。知恩院の遠忌法要(大殿日中法要)では「献香・茶・菓 伝供」が行われた(『三上人遠忌法要差定』知恩院、一九八七)。伝供者は供物を三方に載せて、穴のないほうを手前にして捧持し、次の伝供者に三方をそのまま手渡す。最後壇上に供えるときは、穴のないほうを仏前に向けて持っている者が行う。
【参考】小野功龍「雅楽と法会」(『日本の古典芸能2雅楽 王朝の宮廷芸能』平凡社、一九七〇)
【執筆者:西城宗隆】