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舞楽

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぶがく/舞楽

日本の伝統古典芸能である雅楽を構成する、古代国風歌舞くにぶりかぶ、渡来楽舞がくぶ詩歌管絃しいかかんげんの三つの要素のうち、舞いを伴うもの。その源は、インド、西域の芸能を含んだ中国・唐から伝来したものと、古代朝鮮半島から渡来した高麗こま高句麗こうくり新羅しらぎ百済くだら)の舞である。いずれも奈良時代に日本に伝えられ、太政官治部省だいじょうかんじぶしょう雅楽うたづかさが管轄し、朝廷の儀式、寺社の祭典に演じられていた。もともと舞楽は物語にもとづいたものであった。例えば左方舞さほうのまい万歳楽まんざいらく」は、隋の煬帝ようだいを称えて鳳凰が飛来し賢王万歳とさえずったことを舞楽に作ったとあり、また右方舞うほうのまい貴徳きとく」は匈奴きょうどの王が漢に恭順し、漢は貴徳侯にほうじたという故事にならっている。しかし現在の舞楽からその物語を感ずることは難しい。仁明にんみょう天皇時代(天長一〇年〔八三三〕)に舞楽は「左右両部制」をもって編成されることになり「左方」に唐楽系、「右方」に高麗楽系が配された。そして舞楽装束の色の基調も、左方が赤系、右方が緑系となった。現在伝承されている舞楽の様式は文舞ぶんのまい武舞ぶのまい走舞はしりまい童舞わらべまいの四種がある。文舞は襲装束かさねしょうぞく、または蛮絵ばんえ装束をつけて四人または六人で緩やかに舞う。武舞は金蘭縁きんらんべり裲襠りょうとう装束をつけ、腰に太刀をき、手にほこたてを持って四人で力強く勇壮に舞う。走舞は毛縁けべりの裲襠装束をつけて面をかぶり、手にばち、鉾などを持って一人で快活に舞う(納曽利なそりは二人舞)。童舞の迦陵頻かりょうびんは背に鳥の羽根、胡蝶は蝶の羽根を象った装束をつけた四人で、可愛らしく舞う。現在の舞楽は、古く京都(大内おおうち楽所がくそ南都なんと楽所、天王寺てんのうじ楽所に伝わる舞振りを伝承しており、源氏物語に記された舞振りとほぼ重ね合わせることができる。絢爛豪華な舞楽装束を身にまとい、悠然とした舞の作法は平安の美意識を今に伝えている。浄土宗では、四箇法要のときに舞楽法要が行われている。また増上寺御忌大会では舞楽大殿前の庭儀台で行われている。


【参照項目】➡雅楽


【執筆者:芝祐靖】