懐感
提供: 新纂浄土宗大辞典
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えかん/懐感
七世紀後半頃、生没年不明。唐の都長安で活躍した僧。長安の千福寺に住し、はじめ法相唯識を学び、のち善導の教えを受け、口称念仏を実践して念仏三昧を発得し、『群疑論』(決疑論)七巻を著した。浄土五祖の一人。法然は『逆修説法』一七日において、『観経』中輩の文に「起立塔像」の句があることについて、経文のみでは何像か不明であるとするが、「懐感禅師の群疑論に都率と西方と十五の同の義を立てる中に、造像同というの義が有り、其れを釈するに、弥陀形像を造るの証拠に此の中輩の起立塔像の文を引けり。故に知りぬ、彼の像とは是れ弥陀の形像」(昭法全二三七)であるとしている。『逆修説法』三七日では「経道滅尽」の経文に付する懐感の説を、「説戒受戒も皆成ずべからず、甚深の大乗も知るべからず、故に先だて隠没して世に行われず、但念仏のみ覚り易し、浅識の凡愚尚を能く修習して利益を得べし」(昭法全二五四)の文を引用し、戒法が滅してしまえば持戒もなく、大乗の教えが滅すれば発菩提心も読誦大乗もない。ただ称名念仏の一行のみ残ることになると懐感の釈を根拠に論旨を展開している。さらに法然は『類聚浄土五祖伝』『逆修説法』『選択集』一などで、懐感を中国浄土五祖の第四に数え、『選択集』二では往生行について「もし懐感禅師の意に依らば、往生の行多しといえども束ねて二とす。一には謂く念仏往生、二には謂く諸行往生なり」(聖典三・三/昭法全三一六)といい、同三では「大念小念」の釈、同六では『無量寿経』の目的は全く念仏を説くことにあるとする懐感の説、および同一六には、三昧発得者としての懐感について述べるなど、広く懐感の説を用いるのであるが、最終的には善導の説とは異なる所が多いということで退けている。
【資料】『宋高僧伝』(正蔵五〇)、『逆修説法』一七日、三七日、五七日、『類聚浄土五祖伝』(以上、昭法全)、『選択集』一、二、六、一六
【参考】金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)
【執筆者:金子寛哉】