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但念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

たんねんぶつ/但念仏

浄土往生を願い、ただ念仏のみを修すこと。諸行を修めながら念仏を修す助念仏に対する用語。法然は『往生要集釈』において「念仏において二あり。一には但念仏、前の正修門の意なり。二には助念仏、今の助念門の意なり。要集の意は、助念仏をもって決定業とする。但し善導和尚の意はしからず」(昭法全二四)と述べている。これによるならば但念仏源信の『往生要集』の第四正修念仏門の第四観察門中の「挙声称名」であり、それは善導の『往生礼讃』序に説かれている「十即十生」の称名念仏である。また法然は『往生要集詮要』に「諸行はすなわち往生の要にあらず、念仏はすでに往生の要なり。この故に諸行の一門には、わずかに行の名を列すといえども、未だ細に行相を明かさず、各の楽欲に任すと云いて未だ慇懃おんごん行者を勧めず。念仏の一門には、但念、助念、長時、行相と云い、利益と云い、或は証拠を引き、或は道理を尽くして分明ふんみょうにこれを尽くし、慇懃にこれを勧む」(昭法全七)と述べ、源信但念仏助念仏について慇懃な勧進を行っているが、諸行についてはその名をあげるのみで、その行相を説かないことを指摘している。但念仏の内容について法然は「念仏証拠門の中に云く、男女貴賤これを修するにかたらず等。まさに知るべし。いうところの念仏はすなわち称念なり。しかるに観称の中には、なお易行について、もっぱら称念を進む。この称念について三想を用ゆ。いわく帰命想、引摂想、往生想なり。このなかにいわく、ただ引摂想をもってその要となす」(昭法全六)と指摘している。


【参照項目】➡但念仏往生助念仏往生


【執筆者:宮田恒順】