天台の念仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
てんだいのねんぶつ/天台の念仏
天台宗の念仏は止観と同様、行者の心と仏は相対的関係にあるのではなく、本来不二一体であるとの理法に通達することを肝要とする。その意味で『摩訶止観』に説かれる四種三昧のうち、第二「常行三昧」に説かれる念仏は「般舟三昧」をその内容としており、天台の念仏を知る上では最も注目される箇所である。「常行三昧」で取り上げている般舟三昧は、『般舟三昧経』に依拠する。この行法は阿弥陀仏を本尊として、口に阿弥陀仏の名号を称え、心に阿弥陀仏を念じて、本尊の周囲を行道するもので、九〇日間を一期とする。ここで扱われる般舟三昧は空観を基調とするものであり、また説かれる念仏は称名と観仏であるが、その目的は観仏三昧によって一念三千の妙観を成就することにある。したがって口称念仏はそのための助法であり、実は己心と仏の不二であることを観得する、換言すれば『法華経』に説かれる諸法実相の妙理に到達し、現在成仏を期する「止観念仏」といえる。この思想は宋代の四明知礼に至って、「約心観仏」(または「即心念仏」ともいう)として結実した。約心観仏(即心念仏)は知礼の『観経疏妙宗鈔』に説かれる念仏で、己心と極楽浄土のどちらかに偏ることなく、仏身仏土は己心に即して念ずべきものであり、即ち互に双具するを念ずる事理双修の念仏をいう。一方、円仁は五台山竹林寺より五会念仏を将来し、帰朝後、比叡山東塔に常行(三昧)堂を建立した。現今、天台宗の法義で行われる例時作法の常行三昧は、この円仁将来の儀軌を基に念仏と誦経(阿弥陀経)および五念門等からなり、未来の往生浄土を願求する行法として実践されている。
【参考】福田尭穎『天台学概論』(中山書房仏書林、一九五四)、安藤俊雄『天台学論集—止観と浄土—』(平楽寺書店、一九七五)
【執筆者:小林順彦】