約心観仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
やくしんかんぶつ/約心観仏
阿弥陀仏も浄土も心を離れて別に存在するのではないという立場から、心に仏を観じることで理が顕れるとする説。即心観仏ともいう。中国の知礼は『観無量寿仏経疏妙宗鈔』一で『観経』を約心観仏の経であると説き、心に約して仏の依正を観れば、中道実相の理を顕かにできると説いた。また、知礼の弟子であった尚賢と仁岳が観仏について意見を異にし、尚賢は心に摂して仏に帰するを、仁岳は仏に摂して心に帰するをそれぞれ観仏としたが、知礼はそのいずれでもなく心に約して仏を観じるのが正しいと示した。それは阿弥陀仏も浄土も我が心に本具しており、その本具する仏の法身を観れば理智は自然に発現されると説くものである。約心観仏は宋代以降天台宗を中心に多く用いられたが、日本でも中古天台において行われ、本覚思想などの影響もあり「我が心は即ち仏である」というような即心念仏にも発展した。
【資料】懐則『浄土境観要門』
【参照項目】➡即心念仏
【執筆者:横田善教】