「利剣名号」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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りけんみょうごう/利剣名号
南無阿弥陀仏の六字の名号を、字画の末端を剣のように鋭くして悪因縁を断ち切るように書いたもの。善導『般舟讃』の「門門不同八万四、為滅無明果業因、利剣即是弥陀号、一声称念罪皆除」(降魔偈、浄全四・五三一上)が典拠である。典型的利剣名号には二種類あり、百万遍念仏と深い関わりをもって成立している。①百万遍念仏縁起を伴った利剣名号。中心に利剣名号を書き、左右跋文に百万遍念仏の由来を記したもの。後醍醐天皇の元弘元年(一三三一)に天災飢饉、疫病で多くの人が亡くなったとき、後醍醐天皇の御下命で知恩寺八世の空円が百万遍念仏の修法によって鎮めた。その効験により、伝空海作の利剣名号と知恩寺の勅額を賜った。百万遍念仏の効験を具現化した初期の利剣名号で、百万遍念仏の本尊として祀られたことから、金箔押しや金泥で表現されているものが多く遺されている。②縁山蔵版の利剣名号。利剣名号を大書した下に跋文があり、蝌蚪文字で書いた善導筆の利剣名号が先にあって、中国の故事に倣って始まったという。このほか、融通念仏宗にも偈文のついた利剣名号が伝わっている。
筆跡で確証ある最も古いものに、旭蓮社澄円の隷書利剣名号がある。澄円は渡元して慧遠流の念仏を学んだ僧だが、康永元年(一三四二)の悪病流行を攘災した効験により澄円菩薩号の下賜があった。念仏の効験と利剣名号の関わりが考えられる。百万遍念仏が最も盛んとなったのは飢饉疫病の多かった室町時代で、利剣名号はその本尊として祀られた。また江戸時代には、往生浄土、臨終来迎を目的としたもののほかに、民俗信仰と結びついて、稲の虫除け、雨乞いのほか、疫病退散の祈禱として様々に行われ、利剣名号もこの時期に多く作られている。特殊な利剣名号として、徳本行者利剣名号(岡崎市九品院蔵)がある。『徳本行者摂化往生伝』に、「弘法大師作の名号の密意を悟りて、更に新意を出して弥の一字を弓箭の形に作った。威徳明王は弥陀如来の教令転身なり。弥陀の利剣名号は威徳明王のお姿なる事知るべし」と説いており、徳本の創意が知られる。
利剣の名号は、各字画の先端が剣先のように、特に「弥」は弓と矢によって構成されている。そのほか特殊なものとして、経文利剣名号、梵字利剣名号、十界絵名号などがある。
【参考】八木宣諦『覆刻浄土高僧名号手鑑』(国書刊行会、一九九八)、同「百万遍念仏利剣名号について」(『武蔵大学人文学会雑誌』三二—一、二〇〇一)【図版】巻末付録
【執筆者:八木宣諦】