「無量寿経義疏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:34時点における最新版
むりょうじゅきょうぎしょ/無量寿経義疏
一
『無量寿経』の注釈書の総称。主なものを①インド②中国・朝鮮③日本に分けて挙げると、①『往生論』、②浄影寺慧遠『無量寿経義疏』、吉蔵『無量寿経義疏』、元暁『両巻無量寿経宗要』、憬興『無量寿経連義述文賛』など、③法然『無量寿経釈』、道光『無量寿経鈔』、観徹『無量寿経合讃』、義山『無量寿経随聞講録』などがある。この他にも『無量寿経』には数多くの注釈書が存在し、古来、この経典がいかに広く研究されてきたかが理解される。
【参照項目】➡往生論、三経随聞講録、浄土三部経合讃、無量寿経会訳、無量寿経義疏二三、無量寿経講話、無量寿経釈、無量寿経集解、無量寿経鈔、無量寿経大意、無量寿経連義述文賛、両巻無量寿経宗要
【執筆者:石田一裕】
二
二巻。『大経義疏』ともいう。作者は隋の浄影寺慧遠。『無量寿経』の注釈書。慧遠は俗姓李氏、北周から隋にかけて活躍した地論宗南道派に属す学僧である。地論宗の慧遠が浄土教にも関心をよせていたことは、本書のみならず、『観無量寿経義疏』や『大乗義章』浄土義の執筆からもわかるであろう。本書は『無量寿経』に対する最初の注釈書であり、経文を序分(序論)・正宗分(本論)・流通分(結論)の三分科に分類した上で解説している。巻上に「寿に真と応あり。真は即ち常住にして性は虚空に同じ。応は寿定かならず、或いは長、或いは短あり。今この論ずる所は是れ応にして真に非ず」(浄全一・三上/正蔵三七・九二上)と述べ、阿弥陀仏応身説を展開している。しかし一方で法蔵菩薩の四十八願を摂法身願(一二・一三・一七の三願)、摂浄土願(三一・三二の二願)、摂衆生願(残る四三種の願)に分類している(浄全一・二七上/正蔵三七・一〇三中)ように、阿弥陀仏とその浄土を真応二身二土とみなしていたようである。この仏身仏土論をはじめとする多くの議論は、後世に撰述される『無量寿経』の注釈書類にその体裁や内容において一定の拘束をあたえるとともに、浄土教の理論に対してもその基準となり、また批判対象ともなるなど、中国浄土教の構築と発展に大きな影響を及ぼした。
【所収】浄全五、正蔵三七、続蔵三二
【参考】望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九四二)、深貝慈孝「浄影寺慧遠の弥陀浄土観—『大乗義章』浄土義と『観無量寿経義疏』・『無量寿経義疏』との関連において—」(佛大紀要五五、一九七一)、同「諸師浄土教の研究—浄影寺慧遠の身土観—」(佛大紀要六六、一九八二)
【参照項目】➡摂法身願・摂浄土願・摂衆生願
【執筆者:齊藤隆信】
三
一巻。『無量寿義疏』『大経義疏』ともいう。作者は隋の吉蔵。『無量寿経』の注釈書。吉蔵は陳から隋・唐代にかけて三論や法華を研鑽し、後に長安に出て十大徳にも任じられたほどの学僧。著作として『法華玄論』一〇巻、『華厳遊意』一巻、『涅槃経遊意』一巻、『浄名玄論』八巻、『中観論疏』二〇巻、『三論玄義』一巻、『大乗玄論』五巻など二五部があり、みな大乗仏教の主要な経論に対する注釈である。本書はわずか一巻ながら、『無量寿経』の宗致として、一つには法蔵菩薩が因行を修めて浄土の果を感じたこと、二つには衆生が因行を修めて浄土に往生することであるととらえ、経文の単なる逐語解釈ではなく、『無量寿経』の要点を三論教学の視点から解説している。吉蔵の浄土教観は浄影寺慧遠の影響を受けているとされるが、本書ではそれが認められない。仏身仏土論にしても積極的に論じておらず、如来の説法を次第教と偏方教に分け、法華・涅槃などの次第教に対して、『無量寿経』は偏方教であるという独自の見解を示している。また、吉蔵には『観経義疏』一巻があるが、本書と矛盾する学説も示されており、そのため本書の偽撰説も報告されているので慎重に扱う必要がある。
【所収】浄全五、正蔵三七、続蔵三二
【参考】村地哲明「嘉祥に帰せられたる『無量寿義疏』」(『大谷学報』一四一、一九五九)、藤原了然「嘉祥の浄土教観」(佛大紀要三七、一九六〇)、伊東昌彦「吉蔵撰とされる『無量寿義疏』について—著者誤認の背景とその成立年代—」(『東洋大学大学院紀要』四一、二〇〇四)
【執筆者:齊藤隆信】