「仏土論」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぶつどろん/仏土論
仏の住む世界に関する議論。一世界に同時に二人の仏陀は存在しない、という定義に対して、大乗仏教においては、一世界とは全世界のことではなく、ある限定された世界において、同時に二仏は出現しないことであるとされた。したがって十方世界に仏が現在しているという信仰が生まれ、その仏の所居である世界はどのような世界であるのかという問題が論じられるようになった。仏土論の中心は浄土の分類・優劣の判定であるが、娑婆世界も含めて議論されることもある。浄影寺慧遠は『大乗義章』一九において事浄土・相浄土・真浄土の三種にわけて、それぞれ凡夫・二乗と初地に至る前の菩薩・初地以上の菩薩と諸仏所居の世界としている。智顗は凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土の四土を立て、吉蔵は、浄土・不浄土・不浄浄土・浄不浄土・雑土の五種があるとする。これらは穢土も含めた国土に関する議論である。そしてすべて衆生の階位によって国土を分別するものであり、法身所居の世界は法性土、報身所居の世界は報土、応(化)身所居の世界は応(化)土という解釈をした。そして極楽は凡夫往生の世界であるので劣った世界、応(化)土であると判定している。極楽に限定した仏土論としては、道綽『安楽集』、善導『観経疏』において、これら聖道門諸師の解釈に対し、極楽は報土であるとする仏土論が主張された。道綽は、浄土は報身所居の世界、報土とし、穢土は化身所居の世界、化土であるとして、法身には所居の世界は無いとした。その他には『華厳経』寿命品に極楽を浄土の初門としてさらに優れた浄土があるとする説が述べられている。これを受けて道綽は『安楽集』第二大門において「浄土初門・境次相接」説を立て、娑婆と極楽は境次が接しているからこそ往生しやすい、という論を展開している。また極楽の三界摂不摂の問題、あるいは極楽と兜率、極楽と十方浄土の優劣論が隋唐の浄土教者を中心に論じられているが、これらも仏土論の一種であると言える。
【参考】田村芳朗「三種の浄土観」(『田村芳朗仏教学論集Ⅱ 日本仏教論』春秋社、一九九一)、深貝慈孝『中国浄土教と浄土宗学の研究』(思文閣出版、二〇〇二)、柴田泰山『善導教学の研究』(山喜房仏書林、二〇〇六)
【参照項目】➡三土、四身四土、兜率西方勝劣、十方浄土極楽浄土の勝劣、仏身論
【執筆者:曽和義宏】