法性土
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほっしょうど/法性土
法身の居す浄土のこと。懐感『群疑論』一には、「仏に三身有り、土に三土有り。三身とは一には法性身、二には受用身、三には変化身なり。土に三種有りとは、一には法性土、二には受用土、三には変化土なり。法性身は法性の土に居し、受用身は受用の土に居し、変化身は変化の土に居す。法性の身土は俱に真如清浄法界を以て体性とす」(浄全六・五下/正蔵四七・三〇下)とあり、法性土は法性身と同じく、真如を本体とすることを明かしている。法身について道綽は『安楽集』上において「如来の真法身は、色無く、形無く、現無く、著無く、見るべからず。言説無く、住処無く、生無く、滅無し。是を真法身の義と名づく」(浄全一・六七六下)と述べるように、真如そのものであるため、そのような法身が所居とする具体的な世界が存在するわけではない。その真如を法性身と法性土に分けることに対して、懐感は「身土並びに一真如なりと知ると雖も、それ如は不二不異なり。しかるに法性身、法性の土に居すと言うは、これ覚照の性なる義を以て身と名づけ、法の真理の体を土と名づく」(浄全六・五下/正蔵四七・三一上)とし、真如が一つであることは分かっているが、真如は不二不異である。真如の覚照という性質が法性身であり、真如の本体が法性土であるとしている。
【参考】金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)、村上真瑞『「釈浄土群疑論」の研究』(建中寺出版部、二〇〇八)
【執筆者:曽和義宏】