受用身
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅゆうしん/受用身
法による楽を享受し、また他をして享受せしめる仏。Ⓢsaṃbhoga-kāya。食身、報身、報仏、受報楽仏、等流身とも訳す。仏身を表す語の一つで、三身(自性身・受用身・変化身)の一つ。受用身の語は、自性身、変化身と共に使用される。玄奘訳『摂大乗論』下では、「受用身とは、謂く法身に依り、種々なる諸仏の衆会に顕わるる所にして、清浄なる仏土と大乗の法楽とを所受となすが故なり」(正蔵三一・一四九上)と説かれているように、諸仏の説法の会座において顕わとなり、清浄なる仏土と大乗の法楽を享受する仏身のことである。また説法の会座において顕わとなるということは、その会座において清浄なる仏土と大乗の法楽を享受せしめる仏身のことであるとも言える。懐感『群疑論』一には、「仏に三身有り、土に三土有り。三身とは一には法性身、二には受用身、三には変化身なり。土に三種有りとは、一には法性土、二には受用土、三には変化土なり。法性身は法性の土に居し、受用身は受用の土に居し、変化身は変化の土に居す」(浄全六・五下/正蔵四七・三〇下)とあり、受用身については「二に受用の身土とは、これに二種有り。一には自受用の身土、二には他受用の身土なり。自受用の身土は、菩薩八万四千波羅蜜の行を行じて修習円満せる恒沙の果徳、自利利他四智周円の浄の五蘊等を以て自受用身の体とす。即ち智の上の所現の微細の周遍広大清浄の四塵の、ただ仏と仏とのみ則ちよく知見したまう。自受用身の所依止の処を自受用土の体とす。他受用の身土とは、初地以上の諸大菩薩のために平等性智を用いて鏡智の利他の功徳を撃発して、その所応に随いて一分の細相を現ずるを、他受用身土の体性とす」(浄全六・五下~六上/正蔵四七・三〇下~一上)としている。他にも『成唯識論』や『仏地経論』でも、受用身を自受用身と他受用身に分ける。自受用身とは、法による楽を享受する自利の側面をいい、他受用身とは、衆生に享受せしめる利他の側面をいう。
【参考】長尾雅人「仏身論をめぐりて」(『中観と唯識』岩波書店、一九七八)、同『摂大乗論 和訳と注解』下(講談社、一九八七)
【執筆者:曽和義宏】