「黒本尊」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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くろほんぞん/黒本尊
増上寺・安国殿の本尊阿弥陀如来立像の俗称。徳川家康の念持仏であった。寄木造、金箔。伝源信作。名称の由来は、源九郎義経の守り本尊であったことから「九郎本尊」、あるいは香煙に薫じて黒色に変じているので「黒本尊」とされる。もとは真宗高田派明眼寺(現・岡崎市大和町)の本尊で「明眼如来」と称したが、永禄七年(一五六四)徳川家康の懇望によって岡崎城に遷座した。以来家康は念持仏として陣中にも奉持した(『三縁山志』二、浄全一九・四七下)。『黒本尊縁起』(一八五九)には、家康が日課称名の怠りを誡める夢告によって武田勝頼の刺客による難を逃れ、また、大坂の陣に法師武者(黒本尊の化身)となって援軍したという霊験によって、黒本尊信仰を倍加したとあり、後には「勝運黒本尊」とも呼ばれるようになった。黒本尊は駿府城から江戸城内に安置され、そして増上寺の護国殿に奉安され、明治四三年(一九一〇)の火災にも免れた。昭和四九年(一九七四)増上寺大殿が完成し、旧仮本堂を安国殿として黒本尊を奉安した。平成二三年(二〇一一)の八〇〇年御忌に際して安国殿は再建された。『年中定規便覧』(一七五七)と『年中常規』(一八三九)には、正月・五月・九月に護国殿祈願会(黒本尊祈願会)を厳修したとあり、現在も黒本尊は秘仏とし、正月・五月・九月の忌み月の各一五日に開帳して、「黒本尊祈願会」を修している。
【参考】『大本山増上寺史 本文編』(増上寺、一九九九)、「重修黒本尊縁起」(『略縁起 資料と研究』二、勉誠出版、一九九九)【図版】巻末付録
【執筆者:西城宗隆】