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開帳

提供: 新纂浄土宗大辞典

かいちょう/開帳

厨子の中に安置した尊像・祖師像・霊宝などの戸帳を開いて礼拝・拝観・結縁させること。開扉かいひ啓龕けいがんともいい、関西では「おがませ」ともいう。多くは、前の開帳から三、七、三三、五〇年目などを期に行うが、臨時に行うこともある。古くは唐・元和一四年(八一九)唐の鳳翔法門寺で釈尊の指骨を開帳して国内平安を祈った例があり、日本でも『明月記』『看聞御記』『二水記』などに、善光寺仏・醍醐一言観音・法輪虚空蔵などの開帳がみられる。江戸期には全国的に普及し、人口の多い江戸で盛んに行われた。開帳には大別して、社寺で行う居開帳いがいちょうと繁華地に出向いて行う出開帳でがいちょうがある。また、一七世紀以降には助成開帳・落成開帳年忌開帳・御城跡開帳(将軍参詣のために開帳し、のち一般に参拝させること)などの区別が生じた。自坊で行う居開帳としては、浅草寺観音・江の島弁天・護国寺観音・亀戸天神・洲崎弁天などが代表的である。出開帳は江戸期に盛んに行われ、その初見は寛文一〇年(一六七〇)に常陸真福寺の湯島天神での開帳がある(国立国会図書館蔵『開帳差免帳』)。『嬉遊笑覧』七によれば、江戸で開帳されるもののうちで常に参詣人が集まったのは善光寺阿弥陀仏清水寺釈迦仏・成田の不動尊であったという。日蓮宗にあっては日蓮像の開帳が多くみられた。出開帳場所は本所回向院、深川永代寺、深川浄心寺を主として行われた。本来、開帳とは仏と衆生結縁を目的とする行事であったが、一七世紀以降は享楽的な世相と結びつき興行的になっていった。元禄七年(一六九四)には禁止令が出されたほどであった。のち寺社奉行に願い出て許可を得るという許可制となり、享保五年(一七二〇)には、開帳の間隔が三三年と定められた。しかし、堂社の修復などの臨時出費を賄うための募財事業として、開帳仏や開帳場所を変えるなどして、より短い周期で実施されることも少なくなかった。開帳の最盛期は田沼時代を中心とする約五〇年間で、寛政期(一七八九—一八〇一)以降しだいに衰え、天保改革(一八四一—一八四三)以後は出開帳が激減した。今日では、居開帳は長野善光寺など一部の寺院で継続されており、出開帳は大都市の博物館や百貨店などで寺宝展の形で行われることがある。


【参考】国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』三(吉川弘文館、一九八三)、『日本史大事典』二(平凡社、一九九三)、比留間尚『江戸の開帳』(吉川弘文館、一九八〇)


【執筆者:松野智章】