「道場」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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どうじょう/道場
一
ⓈBodhimaṇḍaの訳語。菩提道場、菩提座、菩提場ともいう。もとは釈尊が悟りを開いたブッダガヤーの菩提樹下の金剛座のことであり、仏陀成道の場所であるが、広くは仏道修行の場所や区域を指す。堂宇の有無にかかわらず、仏事密行を修める所である。また仏を供養する場所であったり、学道する場所としても使用され、隋の煬帝のときには、寺院の別名として使用された。浄影寺慧遠は『維摩経義記』二末に「道場行とは、菩提の果徳なり、これを名づけて道となす。場とはその処の別称なり」(正蔵三八・四六四上)といい、さらに道場を真と応の二種に分け「菩提樹下得道の処を名づけて道場となす、これその応なり。実行して菩提の功徳を出生するを説いて道場となす、これその真なり」(同・四六四上~中)として、釈尊が悟りを開いた菩提樹の下を応、修行をして菩提の功徳があらわれ出ることを真としている。また慧遠は『観経義疏』末(浄全五・一九九上~下/正蔵三七・一八六中)でも道場についてほぼ同様の説明をしており、良忠は『伝通記』散善義記三(浄全二・四三六上)、『観経疏略鈔』散善義二(浄全二・六一八上)、『決疑鈔』四(浄全七・三〇五下)においてこれら慧遠の解釈を継承している。
【執筆者:薊法明・伊藤瑛梨】
二
伝法または自行を策励する法会やその場をいう。浄土宗の道場としては、浄土宗の教師となるための伝宗伝戒道場(加行)、伝灯弘通の許可である璽書を伝授する璽書道場、檀信徒に浄土宗の宗義を伝える五重相伝の要偈道場と密室道場がある。伝法道場の開筵に際しては、道場で遵守すべき道場清規が捧読されている。「仏名会礼懺儀」には、「この道場に投帰して大いに懺悔の筵を開くことあり」(『法要集』表白・宣疏の部)とある。転じて、武道など心身修練する場所をも道場と称するようになった。
【参照項目】➡道場清規、伝宗伝戒道場、璽書道場、要偈道場、密室道場
【執筆者:西城宗隆】
三
生没年および出身地不明。道長とも記す。中国北魏代の人。初め慧光について出家し、菩提流支が中国へ来て(五〇八年)『十地経論』を訳出するやその教えを受け、のち嵩山で『大智度論』を学んだ。ついで洛陽鄴都大集寺等でそれを講じた。また天竺鶏頭摩寺五通菩薩像を供養し、のち明憲が転写したという。『続高僧伝』二四「明瞻伝」によると、一七歳のとき、大集寺で師から『大智度論』を学んだと記す。道綽の『安楽集』下に六大徳相承の説を述べ、慧寵、道場、曇鸞と次第しているため、曇鸞は道場門下であった可能性がある。法然も『逆修説法』一七日、五七日、および『選択集』一で道綽のこの説を引用している。
【資料】『続高僧伝』一一、二四(正蔵五〇)、『集神州三宝感通録』中(正蔵五二)、『逆修説法』一七日、五七日(昭法全)、『選択集』一(聖典三)
【参考】服部仙順「六大徳相承説について」(浄土学八、一九三四)
【参照項目】➡六大徳相承
【執筆者:金子寛哉】