「法岸」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ほうがん/法岸
延享元年(一七四四)—文化一二年(一八一五)一二月五日。円蓮社光誉、字は性如。俗姓は藤田氏。周防国吉敷郡下津領の人。捨世派念仏聖の系譜に属し、大日比三師の第一。一〇歳のとき西念寺運昇の下で出家し、宝暦一一年(一七六一)江戸増上寺で修学。あるとき『法然上人絵詞伝』を読み遁世の志を発し名山霊刹を訪ね、長門妙慶寺の雲説の下で日課三万遍を誓約。明和二年(一七六五)正月再び江戸に出て増上寺の山内恵照律院で菩薩戒を受け、九月生実大巌寺隆善の下で宗戒両脈を相承した。また捨世派念仏聖関通に帰依して強い影響を受け、その風儀を継いだ。安永二年(一七七三)郷里に帰り、同八年道俗の懇請によって大日比西円寺の住職につくと民衆教化に努め、土風を一変し念仏信仰の地とした。毎月五日に開催した子供念仏会は世界最古の日曜学校といわれる。寛政四年(一七九二)弟子の常称に住職を譲って草庵に閑居す。剃度の弟子一〇六人、日課授与二一万余人。著作に『専修要文集』『本願念仏正義弁』『専修念仏要語』『臨終要語』等がある。
【参考】世良諦元編『大日比三師講説集』(西円寺出版、一九一〇)、『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:長谷川匡俊】