音声法
提供: 新纂浄土宗大辞典
おんじょうほう/音声法
仏教儀礼での声楽。礼讃をはじめとする節物全般をいう。浄土宗の法式は威儀、犍稚、執持、音声から構成されているが、中でも音声(音調)は最も重要な役割をなすものである。法要儀式では経文中より多数の要句の偈文を摘出して、音声と諧調によって唱和することが極めて重要であり、これによって自己の信仰を表現し、法悦の境地を感得し、仏徳を讃歎し、回向の意義を成就するのである。その仏教儀式での音声は声明と総称し、梵唄ともいう。声明とは仏教儀式に用いる古典的な声楽で、経典、仏名、偈頌を読誦するときに高下抑揚をつけて唱えるものをいう。浄土宗では日常勤行の節物、礼讃、称讃偈、唱礼、笏念仏等を音声といい、四智讃、伽陀、散華、梵音、錫杖、唄等を特に声明と呼んで区別している。発声するときは、地域、気候、環境等に影響されることが多く、老若男女によっても発声が異なる。また朝夕や感情等に左右されることもあり、道場の構造、人数の多少等により発声に注意すべきである。法要の場合、維那(句頭役)を勤める者は、所定の音程で発声し、式衆・大衆は句頭と同じ音程で唱えることが肝要である。古老の言い伝えに「異口同音の秘訣は各々口に唱えずして耳に唱えよ」(千葉満定『浄土宗法式精要』)とあり、自分の音声のみを聞いて、人の音声を耳に入れないことが多いことを誡めている。また、「芸術より道に入り、道より芸術を楽しむ」とも記し、声明は声明道であり、修行であり、単に声明音楽を学ぶだけではその奥義に達することはできないという。声明を学ぶときには先ず身体の姿勢を正して、すなわち正身端座し、左に片寄ったり、右に傾いたり、前にのめったり、後ろに反り返ったりしてはならない。耳は肩に対し、鼻は臍に対して姿勢を整えて実修すべきである。身体整ったならば意を調べ、気は丹田に力を入れて上手、下手を忘れて修行すべきである。声明の奥義は技巧によって達せられるのではなく、心の修行であり、身の修行である。声明道を研究修行しようと思う者は、心を清浄にして身を正し、気息を整え調声して、長年の訓練の末には必ず大成することができるのである。
【参考】宍戸寿栄『続浄土宗法儀解説』下(真教寺、一九七六)、千葉満定『浄土宗法要儀式大観』(名著普及会、一九八七)、堀井慶雅『法式教案』
【執筆者:岡本圭示】