悪
提供: 新纂浄土宗大辞典
あく/悪
めざすべき境地を得ることや、めざすべき世界に生まれ変わることなどの、果報を妨げる行為。Ⓢpāpa。仏教教団においては、それぞれの立場で守るべき「戒」を破ることが悪である。『無量寿経』では、貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろか)の三毒煩悩による悪行とその果報が説かれた後、五悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・飲酒およびそれらにまつわる悪行)とその果報が説かれている(聖典一・二六〇〜七八/浄全一・二四〜三一)。善導は『観経疏』で、六道を流転してきた衆生を「罪悪生死の凡夫」「出離の縁なし」(聖典二・一二一/浄全二・五六上)とし、今、この人間に生まれる以前の姿を「悪」と定義、この世に生まれ存在する人間を九品に分類した上で、それらを「一切善悪の凡夫」(聖典二・六/浄全二・二上)とする。このうち、上中の六品は行善・戒善・世俗善を修する凡夫、下の三品は「仏法、世俗の二種の善根あること無く、ただ作悪を知る」(聖典二・一八/浄全二・七下)凡夫とする。下三品では、十悪(上生)、破戒、内には心に悪を発し外にはすなわち身口に悪を造る(中生)、五逆等(下生)、十悪邪見闡提人(下品の三生)などと悪の具体相を述べる(聖典二・一四四、一四六〜七、一五〇/浄全二・六七上、六八下、六九上)。しかし以上の諸悪は、「一切衆生平等往生」(『選択集』三)を叶える阿弥陀仏の本願である称名念仏という絶対善と対峙されたとき、相対的な価値観として崩壊する。
【参考】眞柄和人「善導集記『観経疏』における善悪について」(『浄土宗学研究』一二、一九八〇)
【執筆者:眞柄和人】