安養報化
提供: 新纂浄土宗大辞典
あんにょうほうけ/安養報化
安養(西方極楽浄土)は阿弥陀仏の因位である法蔵菩薩の誓願と修行とによって報われた仏国土(報土)か、あるいは仏が衆生を教化するために化現した仏国土(化土)かとの議論。この問題に関する諸師の見解は異なり、浄影寺慧遠は阿弥陀仏の浄土を凡夫の住する国土とし、智顗や吉蔵は凡夫と聖者とが同居する国土として、いずれも阿弥陀仏の浄土は化土であると主張し、凡夫が報土に往生することは不可能であるとした。これに対して道綽は、『安楽集』上に「問うて曰く、今現在の阿弥陀仏はこれ何れの身ぞ。極楽の国はこれ何れの土ぞや。答えて曰く、現在の弥陀はこれ報仏、極楽宝荘厳国はこれ報土なり」(浄全一・六七六上~下/正蔵四七・五下)と述べ、善導も『観経疏』玄義分で「問うて曰く、弥陀浄国は、はたこれ報なりや、これ化なりや。答えて曰く、これ報にして化に非ず。云何が知ることを得たる。『大乗同性経』に説くがごとし、〈西方安楽阿弥陀仏は、これ報仏報土なり〉と」(聖典二・一八二~三/浄全二・一〇下)と明かしている。浄土宗ではこの「唯報非化」の立場をとり、西方極楽浄土は化土ではなく、報身である阿弥陀仏の四十八願が報われて成就した因願果成の報土であるとし、ここから罪悪生死の凡夫も報土に往生することができるという凡入報土説が展開される。
【資料】浄影寺慧遠『大乗義章』一九(正蔵四四)、智顗『維摩経略疏』一(正蔵三八)、吉蔵『大乗玄論』五(正蔵四五)、聖光『西宗要』三(浄全一〇)、良忠『東宗要』一(浄全一一)
【執筆者:杉山裕俊】