三法忍
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんぼうにん/三法忍
三種類の真理に対する確信の意。Ⓢtisraḥ kṣāntīḥ。『無量寿経』では三法忍の内容を、音響忍(Ⓢghoṣānuga)、柔順忍(Ⓢanulomika)、無生法忍(Ⓢanutpattikadharmakṣānti)(以上、聖典一・二四一/浄全一・一五、梵語は足利本四八参照)とし、極楽世界の道場樹を見ることによって得られるとする。三法忍なる語と柔順忍、無生法忍の名目は『無量寿経』以外の経論にも見られるものの、音響忍の用例は非常に少なく、特にその語の解釈としては『如来興顕経』に「諸の所聞の音に恐怖を懐かず、不畏不懅にして喜楽思順し、諸の所遵行に違失する所無し。是れ音響忍なり」(正蔵一〇・六一四中)とある。『無量寿経』の三法忍それぞれの語義および階位について、諸師の間には異解があり、道光は「憬(璟)興の釈に依るべし」とする。それによれば、音響忍とは「樹の音声を尋ぬるに、風に従って有り、有にして実に非ず、故に音響忍を得」、柔順忍とは「境の無性を悟るに有に違せずして空に順ず、故に柔順忍と云う」、無生法忍とは「諸法の生を観ずるに四句を絶す、故に無生忍と云う」(『無量寿経鈔』四、浄全一四・一五〇上~下、また憬興『無量寿経連義述文賛』中、浄全五・一四一上)とする。その階位について、道光は「三賢なるべし」(浄全一四・一五一上)といい、さらに義山は十住、十行、十回向に配当する(浄全一四・三八二上)。これを第四八願の得三法忍願の釈と併せると、その第一、第二、第三法忍はそれぞれ音響忍、柔順忍、無生法忍に相当することになる。また『無量寿経』下には「その鈍根の者は、二忍を成就し、その利根の者は、不可計の無生法忍を得」(聖典一・二五六/浄全一・二一)とあるが、この二忍は音響忍、柔順忍に充てられる。
【資料】道光『無量寿経鈔』五、義山『無量寿経随聞講録』上之四、下之一
【参考】足利惇氏校訂『大無量寿経梵本』(法蔵館、一九六五)
【執筆者:齊藤舜健】