無生法忍
提供: 新纂浄土宗大辞典
むしょうぼうにん/無生法忍
あらゆるものが不生であるという真理を確信すること。Ⓢanutpattika-dharma-kṣānti。無生忍ともいう。ここでいう「忍」とは「認」と同じであり、認める作用を意味する。語尾のⓈkṣāntiも、同様に、認める作用を意味する。『大智度論』五〇に「無生法忍とは、無生滅の諸法実相中に於いて信受通達し無礙不退なる、是を無生忍と名づく」(正蔵二五・四一七下)というように、「無生法」とは、生滅という現象的なありかたを離れている真如実相の理そのものを意味し、それに対する「忍」は、智慧がこの理に安住して不動であることをいう。菩薩が無生法忍を体得(得忍)する段階について、浄影寺慧遠は『大乗義章』一二において「龍樹の説くが如し。初地已上に亦無生を得。若し仁王及与び地経に依らば、無生は七八九地に於いて在り。下は七地に在って、始て無生を習う。中は八地に在って、無生を成就す。上は九地に在って、無生忍満ず」(正蔵四四・七〇二上)と説示し、初地見道の得忍、あるいは第七地(遠行地)、第八地(不動地)、第九地(善慧地)の得忍とする諸説を紹介する。『無量寿経』では、第三十四願「聞名得忍願」に十方の衆生が聞名によって菩薩の無生法忍を得ることが誓われ、第四十八願「得三法忍願」には他方の菩薩が聞名によって第一第二第三の法忍を得ることが誓われていて、この第三法忍が無生法忍である。この他、極楽の樹を見ることで三法忍が得られてその第三が無生法忍であるとされ、また、極楽の波には無生法忍の声があり、往生したものは不可計の無生法忍を得るとされる。曇鸞『往生論註』によれば、法蔵菩薩が世自在王仏の下で無生法忍を得、そのときの位を聖種性と名づけ、そこで四十八願を建立したという(浄全一・二二三下)。『観経』では釈尊によって極楽世界を見る者は無生法忍を得るとするが、善導は『観経疏』で、この得忍を、十信中の忍であって、解行以上のものではない、と非常に低い階位に設定する。この他、第九観を作した者は諸仏の前で無生法忍を得、上品上生者は往生後、仏の色身などを見て無生忍を得、上品中生者は往生後、一小劫を経て無生忍を得るとする。また、韋提希と共に極楽世界と阿弥陀仏、観音勢至の二菩薩を見た五〇〇人の侍女が無生忍を得たとする。なお、『阿弥陀経』には無生法忍は言及されていない。
【参照項目】➡三法忍
【執筆者:齊藤舜健】