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提供: 新纂浄土宗大辞典

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[[三心]]・[[五念門]]・[[四修]]・[[三種行儀]]のすべてが[[称名念仏]]一行の相続のうちに自ずと[[具足]]され、実践されていくこと。『[[授手印]]』本文において[[聖光]]は、『[[観経疏]]』に基づく[[宗義]]([[五種正行]]・正助二行)と『[[往生礼讃]]』に基づく[[行相]]([[三心]]・[[五念門]]・[[四修]]・[[三種行儀]])について解説を施した後、「釈して曰く、我が[[法然]][[上人]]の言わく、[[善導]]の御釈を拝見するに、[[源空]]が目には、[[三心]]も五念も[[四修]]も皆ともに、[[南無阿弥陀仏]]と見ゆるなり」(聖典五・二四〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0008 浄全一〇・八下])という[[法然]]の[[法語]]を依拠として、奥図において「[[三心]]—[[南無阿弥陀仏]]、[[五念門]]—[[南無阿弥陀仏]]、[[四修]]—[[南無阿弥陀仏]]、[[三種行儀]]—[[南無阿弥陀仏]]…」(同)と図示し、[[行相]]の一々が[[称名念仏]]の実践に対して各別に[[認識]]されるのではなく、同一視されると指摘している。古来、こうした奥図の説示内容を[[結帰一行三昧]]と捉え、[[浄土宗]][[伝法]]の肝要を示しているとされる。[[一行三昧]]の語は多くの経論に言及されるが、『文殊[[般若経]]』所説の「[[善男子善女人]]、[[一行三昧]]に入らんと欲せば、空閑に処し、諸の乱意を捨て、相貌を取らず、心を一仏に<ruby>繫<rt>か</rt></ruby>けて専ら[[名字]]を称して、仏の方処に随って、端身正向して、能く一仏において[[念念相続]]すべし」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V08.0731b.html 正蔵八・七三一中])という一節を依拠として、『[[摩訶止観]]』二では一仏の名を称えて[[実相]]を観ずる常坐[[三昧]]が説かれ、『[[安楽集]]』下や『[[往生礼讃]]』前序においても本経典が引用され、[[称名念仏]]が強調されている。これらの教説を受けた[[良忠]]は『[[疑問抄]]』下において「『[[礼讃]]』の前序に、[[三心]]・五念・[[四修]]、[[一行三昧]]と釈して、一合する文、[[料簡]]するの時、所詮は、[[一行三昧]]の[[南無阿弥陀仏]]を正業と為して、この行の上に、<ruby>造<rt>つく</rt></ruby>り<ruby>著<rt>つ</rt></ruby>けたる[[三心]]等なりと知らしめんが為に、かくのごとく仰せらるるなり。謂く、〈上の[[三心]]の[[安心]]も、[[一行三昧]]の[[南無阿弥陀仏]]の上の[[安心]]なり。上の五念も、[[一行三昧]]の[[南無阿弥陀仏]]の上の五念なり〉等と云う意にて候う」(聖典五・三七〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0058 浄全一〇・五八下])と、[[称名念仏]]を[[一行三昧]]として、その上に[[三心]]・[[五念門]]・[[四修]]が[[具足]]されると説示した。さらに[[聖冏]]は『[[伝心抄]]』において「正しく[[記主]]の本意は、[[一行三昧]]に結帰するの処に在り。この[[口伝]]を挙げて、以て今この『手印』の奥旨と為す。これ『礼』の序の伝なり」(聖典五・二七一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0019 浄全一〇・一九上])と述べ、あるいは『[[浄土略名目図見聞]]』に「[[一行三昧]]下」という項を設け「この[[一行三昧]]とは、五[[正行]]の中には是れ第四の[[称名]][[正定業]]なり…礼の序に准ずるに[[三心]]五念等を挙げて[[一行三昧]]に結帰す」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J12_0728 浄全一二・七二八下])と述べており、こうした説示から[[結帰一行三昧]]の用語を用いることとなったと考えられる。
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[[三心]]・[[五念門]]・[[四修]]・[[三種行儀]]のすべてが[[称名念仏]]一行の相続のうちに自ずと[[具足]]され、実践されていくこと。『[[授手印]]』本文において[[聖光]]は、『[[観経疏]]』に基づく[[宗義]]([[五種正行]]・正助二行)と『[[往生礼讃]]』に基づく[[行相]]([[三心]]・[[五念門]]・[[四修]]・[[三種行儀]])について解説を施した後、「釈して曰く、我が[[法然]][[上人]]の言わく、[[善導]]の御釈を拝見するに、[[源空]]が目には、[[三心]]も五念も[[四修]]も皆ともに、[[南無阿弥陀仏]]と見ゆるなり」(聖典五・二四〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0008 浄全一〇・八下])という[[法然]]の[[法語]]を依拠として、奥図において「[[三心]]—[[南無阿弥陀仏]]、[[五念門]]—[[南無阿弥陀仏]]、[[四修]]—[[南無阿弥陀仏]]、[[三種行儀]]—[[南無阿弥陀仏]]…」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0008 同])と図示し、[[行相]]の一々が[[称名念仏]]の実践に対して各別に[[認識]]されるのではなく、同一視されると指摘している。古来、こうした奥図の説示内容を[[結帰一行三昧]]と捉え、[[浄土宗]][[伝法]]の肝要を示しているとされる。[[一行三昧]]の語は多くの経論に言及されるが、『文殊[[般若経]]』所説の「[[善男子善女人]]、[[一行三昧]]に入らんと欲せば、空閑に処し、諸の乱意を捨て、相貌を取らず、心を一仏に<ruby>繫<rt>か</rt></ruby>けて専ら[[名字]]を称して、仏の方処に随って、端身正向して、能く一仏において[[念念相続]]すべし」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V08.0731b.html 正蔵八・七三一中])という一節を依拠として、『[[摩訶止観]]』二では一仏の名を称えて[[実相]]を観ずる常坐[[三昧]]が説かれ、『[[安楽集]]』下や『[[往生礼讃]]』前序においても本経典が引用され、[[称名念仏]]が強調されている。これらの教説を受けた[[良忠]]は『[[疑問抄]]』下において「『[[礼讃]]』の前序に、[[三心]]・五念・[[四修]]、[[一行三昧]]と釈して、一合する文、[[料簡]]するの時、所詮は、[[一行三昧]]の[[南無阿弥陀仏]]を正業と為して、この行の上に、<ruby>造<rt>つく</rt></ruby>り<ruby>著<rt>つ</rt></ruby>けたる[[三心]]等なりと知らしめんが為に、かくのごとく仰せらるるなり。謂く、〈上の[[三心]]の[[安心]]も、[[一行三昧]]の[[南無阿弥陀仏]]の上の[[安心]]なり。上の五念も、[[一行三昧]]の[[南無阿弥陀仏]]の上の五念なり〉等と云う意にて候う」(聖典五・三七〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0058 浄全一〇・五八下])と、[[称名念仏]]を[[一行三昧]]として、その上に[[三心]]・[[五念門]]・[[四修]]が[[具足]]されると説示した。さらに[[聖冏]]は『[[伝心抄]]』において「正しく[[記主]]の本意は、[[一行三昧]]に結帰するの処に在り。この[[口伝]]を挙げて、以て今この『手印』の奥旨と為す。これ『礼』の序の伝なり」(聖典五・二七一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0019 浄全一〇・一九上])と述べ、あるいは『[[浄土略名目図見聞]]』に「[[一行三昧]]下」という項を設け「この[[一行三昧]]とは、五[[正行]]の中には是れ第四の[[称名]][[正定業]]なり…礼の序に准ずるに[[三心]]五念等を挙げて[[一行三昧]]に結帰す」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J12_0728 浄全一二・七二八下])と述べており、こうした説示から[[結帰一行三昧]]の用語を用いることとなったと考えられる。
  
 
そもそも[[聖光]]が、[[法然]]の遺文に見出せない[[宗義・行相]]という区分を創設し、[[結帰一行三昧]]を提示したのは、[[念仏]]相続を軽んずる門下の異義に対し、[[浄土宗]]義の正統を明らかにするためであった。[[法然]]は「[[源空]]は大唐の[[善導]][[和尚]]の教えに随い、本朝の[[恵心]]の先徳の勧に任せて、[[称名念仏]]の<ruby>勤<rt>つとめ</rt></ruby>長日六万遍なり。死期ようやく近づくによてまた一万遍を加えて長日七万遍の[[行者]]なり」(『[[聖光上人伝説の詞]]』聖典四・四八五/昭法全四六一)、「もし我れ申す[[念仏]]の様風情ありて申しそうらわば、毎日六万遍の勤め虚しくなりて[[三悪道]]に堕ちそうらわん。またくさることそうらわず」(『[[聖光上人伝説の詞]]』聖典四・四八二/昭法全四五八)などと[[聖光]]に語り、[[念仏]]相続を実践し、それを人々にも奨励していた。そうした[[法然]]だからこそ、「ただし[[三心]]ぞ[[四修]]ぞなんど申す事のそうろうは、みな[[南無阿弥陀仏]]は決定して[[往生]]するぞと思う中に摂まれり」(『[[善導寺御消息]]』聖典四・四八三/昭法全四三四)、あるいは「ただし[[三心]][[四修]]なんど申す事のそうろうは、みな決定して[[南無阿弥陀仏]]にて[[往生]]するぞと思う内にこもりそうろうなり」(『[[一枚起請文]]』聖典四・二九九/昭法全四一六)と、[[決定往生]]心を具して[[念仏]]を相続すれば、自ずと[[三心]]・[[四修]]が[[具足]]されると主張し得たのである。さらに[[法然]]は「行具の[[三心]]というは、[[一向]]に帰すれば[[至誠心]]なり、[[疑心]]なきは[[深心]]なり、[[往生]]せんと思うは[[回向]]心なり。かるが故に[[一向]][[念仏]]して疑う思なく[[往生]]せんと思うは行具の[[三心]]なり。五念[[四修]]も[[一向]]に信ずる者には[[自然]]に具するなり」(『[[東大寺十問答]]』聖典四・五二九/昭法全六四四)と、[[念仏]]相続を通じて、[[三心]]・[[四修]]同様、自ずと[[五念門]]も具わると説示している。つまり、[[念仏行者]]の[[身業]]は[[阿弥陀仏]]に対する真摯な姿勢を崩すことがない「[[礼拝]]門」を顕現し、その[[口業]]は[[阿弥陀仏]]を尊崇する言葉を絶やさない「[[讃歎]]門」を顕現し、その[[意業]]は[[阿弥陀仏]]に対する揺らぐことなき敬虔な「[[観察]]門・作願門・[[回向]]門」を内に<ruby>涵養<rt>かんよう</rt></ruby>し、総じて[[念仏行者]]の[[三業]]の働きは、[[五念門]]を忠実に実践しているがごときとなり、[[念仏]]一行の相続と[[五念門]]の実践とが同時並行的に成立するのである。このような姿に[[念仏行者]]を変わらしめる要因が、[[阿弥陀仏]]から[[念仏行者]]に注がれる[[光明]]の働きや諸仏・諸[[菩薩]]・諸天善神が[[念仏行者]]を<ruby>[[囲繞]]<rt>いにょう</rt></ruby>し[[護念]]する働きを始めとする[[三縁]]や[[五種増上縁]]等に求められることは明らかだが、同時に[[念仏行者]]自身の内に育まれる[[信仰]]の深まりにも求められることとなろう。いずれにしても[[聖光]]は、以上のような[[法然]]の意図を継承し、さらに[[三種行儀]]を加えた上で、[[浄土宗]]義の真骨頂たる[[結帰一行三昧]]という思想の詮要を「奥図」を通じて、簡潔鮮明に図示し提唱することに成功した。この[[結帰一行三昧]]の思想は、[[忍澂]]の『[[吉水]]<ruby>遺誓諺論<rt>ゆいせいげんろん</rt></ruby>』、<ruby>[[法洲]]<rt>ほうじゅう</rt></ruby>の『[[一枚起請講説]]』、[[妙瑞]]の『[[鎮西]]名目[[問答]]<ruby>奮迅鈔<rt>ふんじんしょう</rt></ruby>』などに継承され、五重[[伝法]]の要として今も伝持され続けている。
 
そもそも[[聖光]]が、[[法然]]の遺文に見出せない[[宗義・行相]]という区分を創設し、[[結帰一行三昧]]を提示したのは、[[念仏]]相続を軽んずる門下の異義に対し、[[浄土宗]]義の正統を明らかにするためであった。[[法然]]は「[[源空]]は大唐の[[善導]][[和尚]]の教えに随い、本朝の[[恵心]]の先徳の勧に任せて、[[称名念仏]]の<ruby>勤<rt>つとめ</rt></ruby>長日六万遍なり。死期ようやく近づくによてまた一万遍を加えて長日七万遍の[[行者]]なり」(『[[聖光上人伝説の詞]]』聖典四・四八五/昭法全四六一)、「もし我れ申す[[念仏]]の様風情ありて申しそうらわば、毎日六万遍の勤め虚しくなりて[[三悪道]]に堕ちそうらわん。またくさることそうらわず」(『[[聖光上人伝説の詞]]』聖典四・四八二/昭法全四五八)などと[[聖光]]に語り、[[念仏]]相続を実践し、それを人々にも奨励していた。そうした[[法然]]だからこそ、「ただし[[三心]]ぞ[[四修]]ぞなんど申す事のそうろうは、みな[[南無阿弥陀仏]]は決定して[[往生]]するぞと思う中に摂まれり」(『[[善導寺御消息]]』聖典四・四八三/昭法全四三四)、あるいは「ただし[[三心]][[四修]]なんど申す事のそうろうは、みな決定して[[南無阿弥陀仏]]にて[[往生]]するぞと思う内にこもりそうろうなり」(『[[一枚起請文]]』聖典四・二九九/昭法全四一六)と、[[決定往生]]心を具して[[念仏]]を相続すれば、自ずと[[三心]]・[[四修]]が[[具足]]されると主張し得たのである。さらに[[法然]]は「行具の[[三心]]というは、[[一向]]に帰すれば[[至誠心]]なり、[[疑心]]なきは[[深心]]なり、[[往生]]せんと思うは[[回向]]心なり。かるが故に[[一向]][[念仏]]して疑う思なく[[往生]]せんと思うは行具の[[三心]]なり。五念[[四修]]も[[一向]]に信ずる者には[[自然]]に具するなり」(『[[東大寺十問答]]』聖典四・五二九/昭法全六四四)と、[[念仏]]相続を通じて、[[三心]]・[[四修]]同様、自ずと[[五念門]]も具わると説示している。つまり、[[念仏行者]]の[[身業]]は[[阿弥陀仏]]に対する真摯な姿勢を崩すことがない「[[礼拝]]門」を顕現し、その[[口業]]は[[阿弥陀仏]]を尊崇する言葉を絶やさない「[[讃歎]]門」を顕現し、その[[意業]]は[[阿弥陀仏]]に対する揺らぐことなき敬虔な「[[観察]]門・作願門・[[回向]]門」を内に<ruby>涵養<rt>かんよう</rt></ruby>し、総じて[[念仏行者]]の[[三業]]の働きは、[[五念門]]を忠実に実践しているがごときとなり、[[念仏]]一行の相続と[[五念門]]の実践とが同時並行的に成立するのである。このような姿に[[念仏行者]]を変わらしめる要因が、[[阿弥陀仏]]から[[念仏行者]]に注がれる[[光明]]の働きや諸仏・諸[[菩薩]]・諸天善神が[[念仏行者]]を<ruby>[[囲繞]]<rt>いにょう</rt></ruby>し[[護念]]する働きを始めとする[[三縁]]や[[五種増上縁]]等に求められることは明らかだが、同時に[[念仏行者]]自身の内に育まれる[[信仰]]の深まりにも求められることとなろう。いずれにしても[[聖光]]は、以上のような[[法然]]の意図を継承し、さらに[[三種行儀]]を加えた上で、[[浄土宗]]義の真骨頂たる[[結帰一行三昧]]という思想の詮要を「奥図」を通じて、簡潔鮮明に図示し提唱することに成功した。この[[結帰一行三昧]]の思想は、[[忍澂]]の『[[吉水]]<ruby>遺誓諺論<rt>ゆいせいげんろん</rt></ruby>』、<ruby>[[法洲]]<rt>ほうじゅう</rt></ruby>の『[[一枚起請講説]]』、[[妙瑞]]の『[[鎮西]]名目[[問答]]<ruby>奮迅鈔<rt>ふんじんしょう</rt></ruby>』などに継承され、五重[[伝法]]の要として今も伝持され続けている。

2018年9月17日 (月) 01:17時点における版

けっきいちぎょうざんまい/結帰一行三昧

三心五念門四修三種行儀のすべてが称名念仏一行の相続のうちに自ずと具足され、実践されていくこと。『授手印』本文において聖光は、『観経疏』に基づく宗義五種正行・正助二行)と『往生礼讃』に基づく行相三心五念門四修三種行儀)について解説を施した後、「釈して曰く、我が法然上人の言わく、善導の御釈を拝見するに、源空が目には、三心も五念も四修も皆ともに、南無阿弥陀仏と見ゆるなり」(聖典五・二四〇/浄全一〇・八下)という法然法語を依拠として、奥図において「三心南無阿弥陀仏五念門南無阿弥陀仏四修南無阿弥陀仏三種行儀南無阿弥陀仏…」()と図示し、行相の一々が称名念仏の実践に対して各別に認識されるのではなく、同一視されると指摘している。古来、こうした奥図の説示内容を結帰一行三昧と捉え、浄土宗伝法の肝要を示しているとされる。一行三昧の語は多くの経論に言及されるが、『文殊般若経』所説の「善男子善女人一行三昧に入らんと欲せば、空閑に処し、諸の乱意を捨て、相貌を取らず、心を一仏にけて専ら名字を称して、仏の方処に随って、端身正向して、能く一仏において念念相続すべし」(正蔵八・七三一中)という一節を依拠として、『摩訶止観』二では一仏の名を称えて実相を観ずる常坐三昧が説かれ、『安楽集』下や『往生礼讃』前序においても本経典が引用され、称名念仏が強調されている。これらの教説を受けた良忠は『疑問抄』下において「『礼讃』の前序に、三心・五念・四修一行三昧と釈して、一合する文、料簡するの時、所詮は、一行三昧南無阿弥陀仏を正業と為して、この行の上に、つくけたる三心等なりと知らしめんが為に、かくのごとく仰せらるるなり。謂く、〈上の三心安心も、一行三昧南無阿弥陀仏の上の安心なり。上の五念も、一行三昧南無阿弥陀仏の上の五念なり〉等と云う意にて候う」(聖典五・三七〇/浄全一〇・五八下)と、称名念仏一行三昧として、その上に三心五念門四修具足されると説示した。さらに聖冏は『伝心抄』において「正しく記主の本意は、一行三昧に結帰するの処に在り。この口伝を挙げて、以て今この『手印』の奥旨と為す。これ『礼』の序の伝なり」(聖典五・二七一/浄全一〇・一九上)と述べ、あるいは『浄土略名目図見聞』に「一行三昧下」という項を設け「この一行三昧とは、五正行の中には是れ第四の称名正定業なり…礼の序に准ずるに三心五念等を挙げて一行三昧に結帰す」(浄全一二・七二八下)と述べており、こうした説示から結帰一行三昧の用語を用いることとなったと考えられる。

そもそも聖光が、法然の遺文に見出せない宗義・行相という区分を創設し、結帰一行三昧を提示したのは、念仏相続を軽んずる門下の異義に対し、浄土宗義の正統を明らかにするためであった。法然は「源空は大唐の善導和尚の教えに随い、本朝の恵心の先徳の勧に任せて、称名念仏つとめ長日六万遍なり。死期ようやく近づくによてまた一万遍を加えて長日七万遍の行者なり」(『聖光上人伝説の詞』聖典四・四八五/昭法全四六一)、「もし我れ申す念仏の様風情ありて申しそうらわば、毎日六万遍の勤め虚しくなりて三悪道に堕ちそうらわん。またくさることそうらわず」(『聖光上人伝説の詞』聖典四・四八二/昭法全四五八)などと聖光に語り、念仏相続を実践し、それを人々にも奨励していた。そうした法然だからこそ、「ただし三心四修ぞなんど申す事のそうろうは、みな南無阿弥陀仏は決定して往生するぞと思う中に摂まれり」(『善導寺御消息』聖典四・四八三/昭法全四三四)、あるいは「ただし三心四修なんど申す事のそうろうは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内にこもりそうろうなり」(『一枚起請文』聖典四・二九九/昭法全四一六)と、決定往生心を具して念仏を相続すれば、自ずと三心四修具足されると主張し得たのである。さらに法然は「行具の三心というは、一向に帰すれば至誠心なり、疑心なきは深心なり、往生せんと思うは回向心なり。かるが故に一向念仏して疑う思なく往生せんと思うは行具の三心なり。五念四修一向に信ずる者には自然に具するなり」(『東大寺十問答』聖典四・五二九/昭法全六四四)と、念仏相続を通じて、三心四修同様、自ずと五念門も具わると説示している。つまり、念仏行者身業阿弥陀仏に対する真摯な姿勢を崩すことがない「礼拝門」を顕現し、その口業阿弥陀仏を尊崇する言葉を絶やさない「讃歎門」を顕現し、その意業阿弥陀仏に対する揺らぐことなき敬虔な「観察門・作願門・回向門」を内に涵養かんようし、総じて念仏行者三業の働きは、五念門を忠実に実践しているがごときとなり、念仏一行の相続と五念門の実践とが同時並行的に成立するのである。このような姿に念仏行者を変わらしめる要因が、阿弥陀仏から念仏行者に注がれる光明の働きや諸仏・諸菩薩・諸天善神が念仏行者囲繞いにょう護念する働きを始めとする三縁五種増上縁等に求められることは明らかだが、同時に念仏行者自身の内に育まれる信仰の深まりにも求められることとなろう。いずれにしても聖光は、以上のような法然の意図を継承し、さらに三種行儀を加えた上で、浄土宗義の真骨頂たる結帰一行三昧という思想の詮要を「奥図」を通じて、簡潔鮮明に図示し提唱することに成功した。この結帰一行三昧の思想は、忍澂の『吉水遺誓諺論ゆいせいげんろん』、法洲ほうじゅうの『一枚起請講説』、妙瑞の『鎮西名目問答奮迅鈔ふんじんしょう』などに継承され、五重伝法の要として今も伝持され続けている。


【参考】香月乗光「鎮西聖光の浄土教学における結帰一行三昧の成立と構造」(『法然浄土教の思想と歴史』山喜房仏書林、一九七四)、林田康順「選択本願念仏と結帰一行三昧」(『仏教文化学会十周年北條賢三博士古稀記念論文集 インド学諸思想とその周延』同、二〇〇四)


【参照項目】➡末代念仏授手印吉水遺誓諺論鎮西名目問答奮迅鈔


【執筆者:林田康順】