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三業

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんごう/三業

三種類の行為の意で、身業口業くごう意業のこと。口業は語業とも、また意業は思業ともいう。有部では、身体の形が身業であり、語の音声が語業であり、意思が意業であるとされる。この三業の関係は、意思である意業から身業と語業の二つの業が生じるのであり、身業・語業は思已業といわれる。さらに身業と語業には、外に表れる表業と強い善悪の業によって生じる無表業とがある。この三業に関連して善導は『往生礼讃』に「一には至誠心。謂う所の身業に彼の仏を礼拝し、口業に彼の仏を讃歎し称揚し、意業に彼の仏を専念観察す。凡そ三業を起すに、必ずすべからく真実なるべし。故に至誠心と名づく」(浄全四・三五四下)と述べて、至誠心とは三業が真実であることと説く。また、三業念仏との関連で見るとき『観経疏定善義に「衆生、行をおこして、口常に仏を称すれば、仏すなわち、これを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわち、これを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわち、これを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生憶念したまう。彼此ひし三業相い捨離せず、故に親縁と名づく」(聖典二・二七二~三/浄全二・四九上)として、念仏を通じて阿弥陀仏行者三業が相捨離しないという。これは三縁の中の親縁である。これを受けて法然は、『選択集』二において五番相対の第一に親疎対として親縁の義を示す。西山派では離三業念仏を説く。


【参照項目】➡五番相対離三業念仏


【執筆者:齊藤舜健】