鎌倉仏教
提供: 新纂浄土宗大辞典
かまくらぶっきょう/鎌倉仏教
鎌倉時代に成立した各宗派における祖師の教理や教団を指す呼称。同時代の仏教全般を指すこともある。この時代には、法然・親鸞・日蓮・栄西・道元・一遍など多くの人師が現れ、難解であった当時の仏教教理と修行を専一的な抽出に基づいて易解・易行化を行い、そこに絶対的な価値を見出していった。これら祖師の思想・行動を明治時代以降の日本仏教研究では、一六世紀西欧の宗教改革になぞらえ、日本の宗教改革者として各宗派の祖師が想定された。これは、西欧列強に比肩しうる文化を日本の中に見出すという、日本の近代化と軌を同じくする発想であった。そこから鎌倉時代の仏教を指して「鎌倉仏教」という呼称が生まれた。とりわけ鎌倉時代各宗派祖師の興した仏教は新仏教、それより前に起源を持つ仏教教団は旧仏教と呼ばれるようになり、それ以後、日本仏教を研究することは、新仏教の祖師の思想を研究することが中心的となった。これらの説によれば、祖師たちの果たした宗教的役割は、民衆救済にあったとされ、現世的には封建社会の中で抑圧されていた民衆を解放したとされる。この新仏教・旧仏教という対立構図から、祖師教説の歴史的・現代的意義の解明を目指して研究が進展した。しかし、一九七〇年代以降になり、社会経済史的な観点から、総体的な仏教史把握を構想した顕密体制論が発表されると、鎌倉仏教研究は変化を見せる。それによると、従来旧仏教と呼ばれる南都六宗、真言宗・天台宗などの顕密教団は、公家・武家と並んだ権力を有し、世俗世界で一大勢力を形成したとされる。鎌倉時代にあっては、これら顕密教団が圧倒的多数派を占め、従来新仏教と呼ばれる祖師たちの教団は、まったくの少数派で、その教団としての繁栄は室町時代以降を待たねばならなかったとされる。また近年は、宗教史的な立場から、この時代における法華一乗思想に基づく天台本覚論が、祖師の思想や神仏習合に影響を与えているとして、より広くこの時代の仏教が捉えられている。このように近代に生まれた思潮である「鎌倉仏教」研究は、既成仏教教団から見た「鎌倉仏教」という視座を超えて、より広い立場から再考され続けている。
【参考】原勝郎「法然上人と聖フランシス」(『日本中世史』冨山房、一九〇六)、家永三郎『中世仏教思想史研究』(法蔵館、一九五二)、黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』(岩波書店、一九七五)
【執筆者:東海林良昌】