菩提流支
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぼだいるし/菩提流支
五~六世紀頃、生没年不明。北インド出身の僧。ⓈBodhiruci。菩提留支とも音写し、また道希と意訳する。北魏の永平年間(五〇八—五一二)のはじめに洛陽に至り、第七代宣武帝の庇護をうけ永寧大寺に住し、後に北魏の分裂にともない東魏の都の鄴に移る。永平年間から天平年間にいたる約三〇年間に、『金剛般若経』一巻、『深密解脱経』五巻、『入楞伽経』一〇巻、『十地経論』一二巻など三九部一二七巻もの漢訳を手がけた。また、『十地経論』一二巻の漢訳によって地論宗が成立するが、菩提流支はその宗祖に位置づけられている。方言や呪術にも長じており、水のない井戸に柳枝をふりつつ神呪をとなえるや水が湧き出してきたという。浄土教に関しては世親の『往生論』を漢訳した。また、かつて仙経を得た曇鸞は帰郷の際に洛陽にたち寄り、菩提流支に出会って『観経』を授けられたことがあった。その曇鸞は『往生論』に注釈をくわえた『往生論註』を撰述している。また道綽は『安楽集』第四大門において、大乗の聖教に詳しく、しかも浄土教に帰依した六大徳の筆頭に菩提流支をあげ、法然も『選択集』一において、道綽・善導流の師資相承の血脈譜として、その筆頭にあげているように、中国・日本の浄土教における祖師とみなされている。
【執筆者:齊藤隆信】