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生天

提供: 新纂浄土宗大辞典

しょうてん/生天

祖先への祭祀などの生前の善行により、死後に神々の境遇(天界)へ生まれること。仏教以前にインド社会に広まっていた、輪廻説を前提とした死生観。初期仏典における誓願説は、「業報と誓願の並列型」「成道への願」「神の心願」「生天に対する願」に分類できるという。この中で圧倒的に多いものは「生天に対する願」であり、これはインド社会における生天願望を反映した結果である。この生天説は単なる民間説の枠を超え、釈尊説法形態にも見られる。釈尊仏教初心者へ順次「施、戒、生天」を説き、次に欲の禍いを説き、離欲したのを確かめて四諦説を説いたとされる。つまり生天論は釈尊による段階的説法の一過程を形成する。この生天は、三宝への帰依十善業などによる世俗の果報とされ、在家者に限って肯定された。かたや輪廻を超克すべき出家者には劣ったものとして否定され、四向四果説などが説かれた。仏道に入った者が業と煩悩の残りによって、この世と天界とを往復することで、最終的に阿羅漢果を目指す立場である。天界は六道輪廻の立場からは人界と共に善趣とされるが、あくまで世俗の境遇にすぎない。例えば天界の住人はあまりに快適なため仏道・仏説への渇望すら生じず、かえって人界を羨む。また長寿のあまり、寿終を極めて恐怖するという。輪廻説の立場からは、人界が成仏の重要な過程に位置づけられる所以である。大乗の浄土経典は、この輪廻説、生天説、および四向四果説を承けながら、浄土への往生という新たな死生観を出す点が特徴である。この往生説は浄土思想を全面に出さない仏典にも広く是認され、いわば浄土仏教内部の共通の目標地点とさえなった。ただし『無量寿経』には、極楽世界欲界の極みである他化自在天との共通性が説かれるなど、生天説との関連も見られる(聖典一・二四四)。事実、原語の面では生天往生の間に、Ⓢupa-√padⓈprati-ā-√janという対応関係がある。日本の飛鳥時代の仏教美術工芸「天寿国繡帳」中の「天寿国」にも、浄土と天界との両説がある。教義的には生天往生は完全に区別されるが、民間説ではその境界線が曖昧であった。


【参考】藤田宏達『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七〇)、Gregory Schopen:Sukhāvatī as a generalized religious goal in Sanskrit mahāyāna sūtra literature, Indo-Iranian Journal vol.19 Nos.3/4, 1977、香川孝雄『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)


【参照項目】➡四向四果


【執筆者:中御門敬教】