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浄土頓教

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じょうどとんぎょう/浄土頓教

往生浄土の教法が、長い間修行を積んだ後に仏果をさとる教法(漸教ぜんぎょう)ではなく、すみやかに仏果をさとることができる教法(頓教)であること。法然は『無量寿経釈』で「天台真言皆な頓教と名づくと雖も、惑を断ずるが故に猶を是れ漸教なり。未だ惑を断ぜず三界の長迷を出過するが故に、此の教えを以て頓中の頓とするなり」(昭法全六八)と、天台・真言頓教というが、煩悩を断って真理をさとることを説くからいまだ漸教であるのに対し、浄土の法門は、いまだ煩悩を断つことができないにもかかわらず三界を出過するから頓教中の頓教であると主張した。この法然の「頓中の頓」の説は、善導が『観経疏』玄義分に「我れ、菩薩蔵、頓教一乗海に依って、偈を説いて、三宝に帰して、仏心と相応せん」(聖典二・一六〇/浄全二・一上~下)と説き、浄土門を二蔵(声聞蔵・菩薩蔵)の中では菩薩蔵に、二教(漸教頓教)の中では頓教に、三乗一乗の中では一乗に収めているが、頓教中における浄土門の位置づけを明らかにしなかったので、これを補足すべく、浄土門煩悩を断じないで凡夫がただちに迷いの世界を離れる教えであるから、「頓中の頓」と説かれたものである。この説を受けて、道光は『選択集大綱抄』上において、聖道頓教は利智の者のみを益し、愚鈍の者を益しないので劣教であるが、浄土頓教は主に愚鈍を益し利智をも救うので勝法であると主張している。また聖冏は『教相十八通』上において聖道の頓を頓悟の頓、浄土の頓を頓生の頓とし、頓悟の頓は自力難行であるが故に頓悟する者は少なく、頓生の頓は他力易行であるが故に頓生する者は多いとし、さらに頓悟の頓といえども、人間(生身)がさとりを得ることであり、因果道理によるさとりに過ぎないのに対し、頓生の頓はれっきとした大いなるさとり(大寂無為)であり、したがって往生のほかに無生(さとり)はなく、浄土のほかに成仏はないと説き、頓生のさとりの頓悟のさとりに対する優位性を強調している。


【参照項目】➡頓漸二教


【執筆者:曽田俊弘】