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定月

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じょうげつ/定月

貞享四年(一六八七)—明和八年(一七七一)一二月三日。観蓮社妙誉道阿。増上寺四六世。生国は伊勢国二見郷。氏姓は不詳。増上寺南谷梁道寮で修学。一時帰国したが、梁道の小金東漸寺転昇に随従。梁道の没後増上寺に戻り、維摩・俱舎・唯識などを講義。経蔵司として三大蔵経の欠本を黄檗おうばく本や自らの書写本で補充した。小金東漸寺二六世、瓜連うりづら常福寺四一世、小石川伝通院三〇世を経て、宝暦六年(一七五六)九月一日増上寺四六世。同一一年徳川家重の逝去に際し万部経会の大導師を勤める。翌年二月塔頭たっちゅう学寮が焼失したが、幕府より再興資金が寄進された。翌一三年本堂三門など諸堂舎を修復、護国殿を創建し黒本尊を安置した。同年一一月山下谷に妙定院を建立、徳川家重の位牌を安置し別院とした。風流な文化人として仏画和歌をよくし、大奥の帰依が篤かった。著書に『天台戒体明灯章』『獅子絃』などがある。明和三年(一七六六)隠退し麻布一本松(現・麻布台)に移り、のち妙定院に閑居した。


【資料】『三縁山志』(浄全一九)


【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)、野村恒道・伊坂道子『妙定院史』(妙定院、二〇〇八)


【執筆者:中野真理子】