数珠
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅず/数珠
小さい珠を糸などで通して輪とした執持物。Ⓢjapa-mālāⓈakṣa-mālā。『牟梨曼陀羅呪経』では「鉢塞莫」と訳している(正蔵一九・六六七中)。仏を拝み経を読むときや、密教の修法、念仏を称えるときなどに手に掛けて用いる。誦珠・珠数・寿珠とも書くほか、念珠ともいう。珠の数は通常一〇八顆で、その半分の五四顆や、さらにその半分の二七顆のものもある。数珠のおこりについて、『木槵子経』には、一〇八の珠を貫いて常に持って仏法僧の名を称えると、煩悩を断除し、涅槃に趣向することができる(正蔵一七・七二六上)と説かれ、『陀羅尼集経』二の仏説作数珠法相品には、「経を誦し、念仏し、呪を持する行者は、一一に各の須らく手に数珠を執るべし…其の数は皆、須く諸の相貌を具す。その相貌とは其れ四種有り…一には金、二には銀、三には赤銅、四には水精。その数は皆一百八珠を満ず。或は五十四、或は四十二、或は二十一、また中用を得。若しこれ等の宝物数珠を以てこれを搯ぐり、誦呪、誦経、念仏する諸々の行者等は、当に十種の波羅蜜の功徳を満足することを得」(正蔵一八・八〇二下)と説かれている。『法隆寺資財帳』『東大寺献物帳』には数珠の記載があり、正倉院宝物中にも多く遺されている。ヒンドゥー教でも用いられているが、インドのバラモンが用いていたもので、japa-mālā(数珠の輪)という。これをインド人以外の人がjapā-mālāとして覚え、japāはバラ(rose)を意味するところから、それが西洋で直訳されてロザリオとなったという。またイスラム教でもインド風の数珠を用いている。『続高僧伝』二〇の道綽伝には「珠数相量るに、七宝の大山の如し。…人各珠を搯ぐり、口に仏号を同じうす」(正蔵五〇・五九三下)とあり、中国浄土教祖師の間でも称名記数の法具として用いられたことが記されている。法然は「必ず念数を持つべきなり。…念珠を博士にて、舌と手とを動かすなり」(聖典四・五二九/昭法全六四四)と説き、念仏を称えるときの拍子とりの意味も踏まえて、念仏するときは数珠を持つべきであるとしている。浄土宗では、荘厳数珠、日課数珠、百八数珠と百万遍数珠の四種類がある。荘厳数珠は荘厳服を被着したときに用い、日課数珠または百八数珠は通常服のときに用いる。百万遍数珠は数珠回し(数珠繰り)を行うときに用いる。
【執筆者:西城宗隆】