二知三信
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:30時点における192.168.11.48 (トーク)による版
2018年3月30日 (金) 06:30時点における192.168.11.48 (トーク)による版
にちさんしん/二知三信
阿弥陀仏を実相身・為物身と知ることを二知といい、信心があつく、定まり、相続することを三信という。曇鸞の説。二不知三不信の対。『往生論註』下の讃歎門釈のなかで、「如彼名義欲如実修行相応とは、かの無礙光如来の名号は、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満たす。しかるに称名憶念すれども、無明なお在りて所願を満たさざる者のあるは何ぞや。如実に修行せずして名義と相応せざるに由るなり」(浄全一・二三八下)と述べ、なぜ名号を称え憶念しても煩悩を除くことができず、また志願を満たすことができないかと問い、如実に修行せず、名義と相応していないからであると答えている。曇鸞は具体的な内容について、実相身と為物身を知らないこと(二不知)と、信心があつくなく、定まっておらず、相続していない状態にあること(三不信)を説いている。すなわち曇鸞は、この逆である、阿弥陀仏を実相身・為物身と知り(二知)、信心があつく、定まり、相続すること(三信)により、称名念仏によって煩悩が除かれ志願が満たされるとする。
【資料】『論註』下、『論註記』四
【執筆者:石川琢道】