二種法身
提供: 新纂浄土宗大辞典
にしゅほっしん/二種法身
法性法身と方便法身のこと。曇鸞が『往生論註』下において「上の国土の荘厳十七句と如来の荘厳八句と菩薩の荘厳四句とを広となし、入一法句を略となす。何が故ぞ広略相入を示現する。諸仏菩薩に二種の法身あり。一には法性法身。二には方便法身なり。法性法身に由りて方便法身を生じ、方便法身に由りて法性法身を出す。この二法身は異にしてしかも分つべからず、一にしてしかも同ずべからず。この故に広略相入して統ぶるに法の名をもってす。菩薩もし広略相入を知らざれば、則ち自利利他すること能わず」(浄全一・二五〇上~下)と「広略相入」を説明する中で用いられている。「略」とは入一法句を指し、「広」とは三種荘厳功徳成就相をいう。すなわち略と規定される法性法身とは法性の理を証得した仏の慧(内証)をいい、広と規定される方便法身とは衆生済度のはたらきをする方便の智(外用)をいう。阿弥陀仏に即していえば、法性の理を証得した阿弥陀仏(法性法身)は内証に留まることなく、利他のはたらきを四十八願として建て願行を具足し浄土を建立して衆生を済度する(方便法身)。さらに衆生に向けられた利他のはたらき(方便法身)は、それを享受した衆生に法性の理(法性法身)を証得せしめるということになる。すなわち、法性法身とは阿弥陀仏の智慧を指し、方便法身は浄土の三種荘厳を意味する。良忠は『往生論註記』において「願によって成仏す。仏の自証はこれ法性法身なり」(浄全一・三三三下)と述べ、道光は『論註略鈔』の中において「弥陀如来は六八の願に由りて、正覚を成ず。其の内証即ち法性身なり。此の法性より、外用の三種荘厳の方便法身を出す。此の方便法身清浄荘厳は源、六八の願による」(浄全一・五八八上)と述べている。これらより、法性法身を内証と捉え、方便法身を外用と捉えていることが確認できる。浄土宗においては、『無量寿経』の説示に基づき、阿弥陀仏の出発点を法蔵菩薩と捉え、法性法身と方便法身を阿弥陀仏の四十八願成就の中で捉える。この二身は、理と事、内証と外用の違いはあっても、理をはなれた事、事をはなれた理はないことと、また理事互融であり一であっても、内証とそこから展開する外用とは同一視できないことを意味している。なお、真宗においては親鸞の解釈に基づき、法性法身を真如の理と捉え、方便法身を報身の阿弥陀仏と捉えており、浄土宗の解釈とは異なっている。
【参考】藤堂恭俊『浄土仏教の思想四 曇鸞』(講談社、一九九五)、曽根宣雄「往生論註所説の二身論と大智度論所説の二身論について」(『仏教文化研究』五一、二〇〇三)、石川琢道『曇鸞浄土教形成論』(法蔵館、二〇〇九)
【執筆者:曽根宣雄】