同類の助業・異類の助業
提供: 新纂浄土宗大辞典
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どうるいのじょごう・いるいのじょごう/同類の助業・異類の助業
同類の助業とは五種正行のうちの称名正行以外の前三後一の助業(読誦・観察・礼拝・讃歎供養)を指し、異類の助業とはそれ以外の助業を指す。この概念は法然に始まる。法然遺文中、『無量寿経釈』(昭法全八九)と『選択集』四(聖典三・一二六~七/昭法全三二三)に現れ、前者では「同類の善根・異類の善根」、後者では「同類の助成・異類の助成」と記される。そもそも善導は『観経疏』において、称名正行以外の前三後一の行を助業と位置づけたが、法然は自身の行体系を整備するなか、それ以外の行も助業として位置づけていった。その際、前三後一の助業は、称名念仏と同様、阿弥陀仏・極楽に縁の深い行であることから「同類の助業」、それ以外の行は称名念仏とは異なり、阿弥陀仏・極楽に縁の浅い行であることから「異類の助業」と名付けられたものと考えられる。その異類の助業が具体的に何を指すかに関しては、『無量寿経釈』と『選択集』とでは少し違いがある。前者では源信『往生要集』の第五助念方法に示される「方処供具」などの七種の行がそれに当たるとする。一方、後者では『無量寿経』三輩段に説かれる念仏以外の行、すなわち上輩に説かれる「出家して欲を捨て沙門となり菩提心を発す」等の出家者の行、中輩の「寺院を建て仏像を作り、絵像を掛けて灯りをともし、散華・焼香する」などの在家者の行、下輩の「発心」などの行を挙げ、先の『往生要集』の助念方法の行は、中輩の助業と同趣旨であるとして中輩に含める形で説かれている。いずれにせよ、両文献とも、異類の助業はこのように『無量寿経』『往生要集』に説かれる行に限定して示されており、同類の助業以外のすべての行が異類の助業となるわけではない。ただし異類の助業の趣旨からすると、例えば『禅勝房伝説の詞』などで説かれる「衣食住の三は念仏の助業なり」(聖典四・四八七/昭法全四六三)という場合の助業も、異類の助業と捉えることができる。なお、聖冏『直牒』では、同類の助業・異類の助業を別・総と位置づけ(浄全七・五〇七上)、異類の助業の大半は雑行に相当するが、助業の役割は果たし得ること、さらに同類・異類の名は、天台宗において相似の菩薩を同類相似と異類相似に分けることに基づくのではないかということ、そしてなぜ同類・異類といわれるのかなどについても言及している(浄全七・五四七下~八上)。
【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九六七)
【参照項目】➡正定業・助業
【執筆者:安達俊英】