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称念

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しょうねん/称念

称名念仏(しょうみょうねんぶつ)


永正一〇年(一五一三)—天文二三年(一五五四)七月一九日。三蓮社縁誉、あざなは吟応。武蔵国品川の人。俗姓は藤田氏。捨世派念仏聖の祖とされる。九歳のとき増上寺世親周仰の下で得度し、宗戒両脈相承。師の遷化に伴い下総国飯沼弘経寺に転じて五世鎮誉祖洞に師事する。のち武蔵国岩槻浄安寺に住し念仏教化に努めたが、隠遁の志深く、やがて当寺を辞し江戸桜田に帰依者の喜捨により天地庵(現・天徳寺)を建て専ら念仏を修した。天文一三年(一五四四)念仏勧化発願して諸国行脚に出で、伊勢大神宮にその志を祈願した。これより請われて松坂樹敬寺六世を継いだほか、山城国内に鞍馬谷野中村専称庵、知恩院南隣の一心院など七箇寺を開創し、さらに関東・関西の諸州に四七箇寺の遺跡があると伝える。いずれも帰依者が堂宇を建立して称念開山に迎えたものとみられ、並々ならぬ念仏勧化をうかがわせる。特筆されるのは、専称庵同行法度一心院仏道場七箇条、専修同行者への九箇条など、念仏同行衆が守るべき規則を定め、捨世一流の基礎を築いたことである。著書は『安心鈔』『夢記』『要義鈔』など。


【資料】『称念上人行状記』(浄全一七)、『緇白往生伝』(笠原一男編『近世往生伝集成』一、山川出版社、一九七八)


【参照項目】➡捨世派


【執筆者:長谷川匡俊】