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庚申信仰

提供: 新纂浄土宗大辞典

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こうしんしんこう/庚申信仰

中国道教三尸説さんしせつに基づく民間信仰。庚申の日の晩、人が寝入った後に体内にいる三尸の虫(上尸は頭部、中尸は腹部、下尸は脚部にいるとされる)が天に上り、天帝にその人間が犯した罪過を上告するので、その晩は身を慎んで眠らなければよいという三尸説は、四世紀初期の葛洪かっこう抱朴子ほうぼくし微旨篇びしへんに初見する。『太上三尸中経』や『太上除三尸九虫保生経』などの道教経典が作られ、唐代には庚申の晩の徹夜を三回続けると三尸は萎縮し、七回行うと絶滅して増寿益算が得られるとされた。仏教にも取り入れられ、守庚申会しゅこうしんえが盛んに行われた。日本へは円仁の『入唐求法巡礼行記』の記事などから、平安初期には伝来したと考えられる。中国では庚申の晩には肉食や同衾どうきん禁忌とされ、沐浴や静思などの精進が重んじられたのに対して、日本では管絃や歌舞、飲食を賑やかに愉しみ、碁や双六、歌合せに興ずるような遊宴的性格が色濃く、平安貴族から中世の武家社会に継承され、陰陽師密教僧、修験者らを通じて民間にも浸透した。日本での所依経典とされた『老子守庚申求長生経ろうししゅこうしんくちょうせいきょう』(『庚申経』)は一一世紀後期頃の舶載経に加筆したものとみられ、一五世紀中期には、この『庚申経』に著しく仏教的要素を加味し、勤行作法功徳禁忌その他を詳述した『庚申縁起』が成立し、以後の庚申会や庚申講の典拠となった。


【執筆者:増尾伸一郎】