仏塔
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぶっとう/仏塔
仏塔(ⓈstūpaⓅthūpa)は卒塔婆、窣堵波、偸婆、塔婆などと音写され、塔、塔廟とも呼ばれるが、同じように訳される宗教的モニュメントであるチャイトヤ(ⓈcaityaⓅcetiya、枝提)とは意味を異にし、本来は釈尊の遺骨を納めた舎利塔を意味する。『摩訶僧祇律』三三に、「舎利あるものは塔と名づけ、舎利なきものは枝提と名づく。仏の生処、得道処、転法輪処、般泥洹処、菩薩像、辟支仏窟、仏脚跡の如き、此の諸々の枝提には仏の華蓋供養の具を安んずることを得」(正蔵二二・四九八中)と述べている。『大般涅槃経』諸本の伝えるところによれば、釈尊の遺骨は八つに分配された。それらと火葬後に一旦遺骨を納めていた壺、火葬した灰を納めた一〇の仏塔がインドに建てられたとあり、それらが本来の仏塔となる。その中で、シャカ族が納めた遺骨が発見されたピプラーワー仏塔の再発掘調査によると、本来の建造物は右繞路をもつ煉瓦造りの高さ九〇センチ、直径二三メートルの上部の平らな円筒形で、現在知られる伏せ鉢型の仏塔はアショーカ王時代の増築形が一般化したものと考えられる。現世で阿羅漢果を得ることを目的としていた仏教が、未来にブッダとなることを目指すものに変容した時代には、ブッダによる授記が必須条件となった。しかし実際には釈尊が涅槃し、弥勒がまだ現れない無仏の時代であり、仏塔がブッダの代わりをするものとして信仰された。アヴァダーナ文献の中には仏塔が授記を授ける用例も見いだせる。また仏教の地域的な広がりは、その本来の仏塔のさらなる代わりとして様々なチャイトヤを建立するにいたり、徐々に両者の区別がうすれていった。そして中国に伝わり、三重、五重などの楼閣建築に形を変え、塔として日本に伝えられた。形状などにより多宝塔、宝塔、宝篋印塔、無縫塔(卵塔)などがある。
【参照項目】➡卒塔婆、多宝塔、宝篋印塔、無縫塔、アショーカ王
【執筆者:吹田隆道】
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